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文化・観光・施設

板橋の文化財

公開日:平成20年4月1日
最終更新日:平成24年2月9日

文化財愛護シンボル

文化財愛護シンボル

 文化財とは??

 「文化財」とは、文化財保護法(昭和25年)によると「わが国の歴史、文化の正しい理解のため欠くことのできない」「将来の文化の向上発展の基礎をなす」国民的財産と規定されています。

 板橋区では昭和58年に文化財保護条例を定め、区内の文化財の保護・活用に努めています。


 用語の説明

 文化財

板橋区では「文化財」を[1]有形文化財[2]無形文化財[3]有形民俗文化財[4]無形民俗文化財[5]記念物の5つに区分しています。

 登録文化財

「文化財」のうち区が公共的見地から保存に努めるべきものとして登録したもの。

 指定文化財

登録文化財のうち、特に重要なものを広く保護すべきものとして指定したもの。


 平成22年度指定・登録文化財のご紹介

 板橋区教育委員会では、平成23年3月25日の教育委員会で、新たに7件の文化財の登録を決定し、同日告示しました。これにより、区の登録文化財は154件(うち指定文化財34件)になりました。


【新規登録】

 「田中泰彦家文書」[有形文化財(古文書)]

 当資料は、現当主泰彦(やすひこ)氏の祖父精一(せいいち)氏が、町会長を務めるにあたり集積された資料が中心です。町会会則、規約など戦前・戦中の町会資料のほか、北豊島郡域を対象とした地域新聞が含まれます。

 これらは戦前における板橋区の町会活動および北豊島郡の歴史を考える上で貴重な資料です

 「栗原家文書」[有形文化財(古文書)]

 当資料には近世前期以降の文書が含まれ、延宝(えんぽう)7年(1677)から享保16年(1731)までほぼ揃う年貢小手形(ねんぐこてがた)は貴重です。また、富士講関係文書は、文化2年(1805)富士講の 一つである山万講(やままんこう)が上板橋村へ伝播するうえで、当家が中心的な役割を果たしたことがわかります。

 当資料は、近世の上板橋村における年貢納入の状況や、上板橋村の富士信仰の実態を考察する上で重要な資料です。

 「前野町五丁目熊野神社所蔵絵馬・扁額」

 当資料は近世から近代のもので、一番古い絵馬は安政5年(1858)の「参詣図(伊勢太々神楽奉奏・いせ だいだいかぐら ほうそう)」で、作者は巣鴨住の等川(とうせん)です。物語や故事を描いた絵馬が多く、保存状態が良好である点が特徴です。この他、大正10年に榛名講が奉納した太々神楽の扁額(へんがく)があります。

 当資料は、近世から近代における地域社会の神社に対する地域の信仰を明らかにする上で重要な資料です。

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 「赤塚氷川神社所蔵絵馬・扁額」[有形民俗文化財]

 当資料のうち、一番古い絵馬は、当社の祭礼の様子を描いた明治16年(1883)の「祭礼図(氷川神社)」で、区内最大の大きさです。また、伊勢、江ノ島、八海山、浅間山の各参拝講が参詣図絵馬を奉納している点に特徴があります。扁額(へんがく)は近世から近代のものが確認され、伊勢・榛名・御嶽(みたけ)・大山の各参拝講が記念に奉納している点が特徴です。

 当資料は、近現代における地域社会の神社に対する地域の信仰を明らかにする上で、重要な資料です。


 「赤塚氷川神社田遊び」[無形民俗文化財]

 2月10日(旧正月)には、特殊神事「田遊び」が行われています。赤塚氷川神社の田遊びは、国重要無形民俗文化財である徳丸北野神社(2月11日)及び赤塚諏訪神社(2月13日)と異なり、芸態は簡素であり、お焚上げに点火し、その周りを氏子・神職が太鼓をたたき、獅子などをもって回るものです。なお、使用された面・獅子頭(ししがしら)・太鼓は、墨書銘(ぼくしょめい)から江戸期に遡るものであることが判明し、赤塚氷川神社の田遊びの歴史の解明するうえで重要であることから、平成21年度に有形民俗文化財に登録されました。

 当田遊びは、板橋区のみならず東日本の田遊びの展開を解明する上でも重要な民俗芸能です。

 「赤塚諏訪神社富士塚」[記念物(史跡)]

 赤塚諏訪神社の富士塚は、塚に建てられている浅間神社碑によれば明治15年(1882)に「富士山新造」とあり、世話人田中吉五郎らにより造られたと見られます。なお、当地域には現在の新座市に住していた浅海吉右衛門(せんかい・きちえもん)が講祖となった丸吉講(まるきちこう)が江戸期より展開していた状況も富士塚の石碑から証明できます。

 当富士塚は、地域の民間信仰や民俗などを考えるうえで貴重な史跡です。

 「説経浄瑠璃五代目若太夫墓」[有形文化財]

 説経浄瑠璃の五代目家元・若太夫(本名:諏訪仙之助(すわ・せんのすけ))は「説経節史上の功績者」と評されています。明治10年(1877)に67歳で逝去、当時板橋宿にあった乗蓮寺(現赤塚)に埋葬されました。当寺に残る墓は高さ60センチメートルで六角形を呈しています。

 五代目若太夫は、現在都・区の無形文化財となっている説経浄瑠璃若松若太夫の祖にあたる、日本の芸能史上重要な人物です。当墓はその活動拠点が板橋区にあったということを物語る貴重な資料です。


【登録抹消】

 刺繍 嶌峰和美[無形文化財(工芸技術)]

 ご逝去にともない登録を抹消しました。

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添付ファイル

板橋区指定・登録文化財一覧表(PDFファイル 300キロバイト)

田中泰彦家文書(JPEGファイル 491キロバイト)

栗原家文書(JPEGファイル 469キロバイト)

赤塚氷川神社所蔵絵馬(JPEGファイル 628キロバイト)

赤塚氷川神社田遊び(JPEGファイル 45キロバイト)

赤塚諏訪神社富士塚(JPEGファイル 212キロバイト)

説経浄瑠璃五代目若太夫墓(JPEGファイル 529キロバイト)

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お問合せ先

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