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トップページ >  文化・観光・施設・公園 >  文化財 >  第14回櫻井徳太郎賞 氷川神社の創建と発展に関する考察(1)

公開日:平成28年4月21日
最終更新日:平成28年4月21日

第14回櫻井徳太郎賞 高校生の部 優秀賞

氷川神社の創建と発展に関する考察
武蔵高等学校1年 吉田 壮志

 

 

1 はじめに

 1.1 研究テーマ、動機

 埼玉県、東京都近辺で生活していると目にすることの多い氷川神社だが、実際は表1のように全国約250社の内、旧国名での武蔵国(現在の埼玉県、東京都)にあたる地域にそのほとんどが密集しており他の地域には数えるほどしか存在しない、ということに興味を持った。また、そのルーツは関東から遠く離れた島根県出雲地方にあるらしいということを知り、なぜこの武蔵国に集中して広がったのか、その地域性と発展を研究することにした。また、その出雲には祖父宅があることもあって、このテーマには強く惹きつけられた。

 社伝によると氷川神社の多くは埼玉県さいたま市大宮区高鼻の氷川神社(以下、他の多くの氷川神社との区別のため、大宮氷川神社と呼ぶ)から分霊(i)したとされているため、まずその大宮氷川神社の創建経緯から調べ、それを踏まえて全体を研究することにした。

 

   埼玉県 約160  神奈川県 2     

   東京都 約60    山梨県  1     

   福井県 10     大分県  1

   福島県 4     長崎県  1

   千葉県 3     栃木県  1

   茨城県 2     北海道  1

   島根県 2

 

    表1 全国の氷川神社の数

 

 1.2 先行研究とその課題

 まず大宮氷川神社の創建には出雲地方とそこからやってきた出雲族と呼ばれる人々が関係し、素戔嗚命を中心に大国主命、稲田姫命を祭神として祀る、ということが共通認識となっており、社伝などにも広く記されているが、その内容は主に2説に分かれている。まず『新編武蔵国風土記稿』の「第五代孝昭天皇の御代三年四月未の日、出雲国、氷の川上に鎮座する杵築大社を移して氷川神社の神号を賜る」という記述から大宮氷川神社は杵築大社(出雲大社)の分霊であるとする説がある一方で、江戸時代の国学者である平田篤胤らが唱えた島根県の樋社(現在の斐伊神社)を移したという説も有力になっている。

 氷川神社の発展については西角井正慶がその分布を「大体は元荒川という、荒川(隅田川)の古き河流を東の限界とし、西は多摩川を限界にした地域にのみ多い神社である」と指摘。『志木市史』では氷川神社の河川に沿った分布は、川に沿って開発を進めていきながら信仰の拠点を造った、という河川の影響によるものとしている。

 氷川神社の発展の研究もされてはいるが、その数が少なく踏み込んだ研究がされていないため「通説」、「有力な説」と言えるものがない。

 そこで、今回の研究ではその2点について明確な結論を出すことを目標とした。

 

2 大宮氷川神社の創建

 ここでは、先述のように氷川神社を考える上で重要な大宮氷川神社の創建を考察する。

 2.1 武蔵と出雲

 中・近世に至るまで武蔵国は、荒川を中心とする河川の水害が非常に多く、広大な低湿地が広がる土地であった。

 古代においてその武蔵国の開拓に関わったのが、出雲族と呼ばれる人々であったといわれている。ここでは古代出雲と武蔵の関係を示すいくつかの事例を挙げる。

 例えば武蔵国には鷲宮神社、出雲祝神社などの出雲系の神を祀る神社が多く存在しており、これらの神社の社伝では出雲族がこの地を開拓したと伝えている。また、埼玉県比企郡吉見町の吉見百穴は古墳時代後期の有名な横穴墓群だが、畿内、河内系が中心の東日本では珍しい出雲式となっている。他にも同東松山市の五領遺跡など多くの遺跡で山陰系の壷や甕、土器などが出土している。他に、埼玉県は古くから製鉄が行われていたことで知られており、後述する出雲のたたら製鉄とも繋がりを感じる。

 

 

 

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図1 神原神社縁起

図1 神原神社縁起
(画像クリックで拡大372KB)

   2.2 天穂日命一族

 出雲と武蔵の関係を示す文献としては、古事記と国造本紀がある。そこには、第13代成務天皇の時代に天穂日命の子孫である出雲の兄多毛比命が武蔵国造となったことが確認され、大宮氷川神社の縁起では兄多毛比命が大宮氷川神社を崇敬したと記されている。

 この天穂日命は古事記、日本書紀などの日本神話に登場する男神で、天照大神と素戔嗚命が誓約をした際に生まれた、天穂日命の子供とされている。神話では天穂日命の意を受け、大国主命のもとに国譲りの交渉に赴くも大国主命に心服し任務を果たさなかった話が有名で、後に子の建比良鳥命は今も出雲大社の宮司として続く出雲国造の祖となったとされている。

 ただし、子孫にあたる出雲国造が天皇に奏上した『出雲国造神賀詞』では日本全国の平定に貢献したとされており、古事記でも建比良鳥命が出雲国造、武蔵国造だけでなく、現在の千葉県にあたる国々をはじめとする5つの国の国造の祖とされている。

 また、武蔵国と天穂日命一族の繋がりを示すものとして、彼らが祀ったとされる神社の数々がある。後述するが、合計100社程が分布する鷲宮神社、兄多毛比命が造ったとも言われる久伊豆神社、他にも出雲伊波比神社など多数存在している。

 

 2.3 斐伊川と荒川

 出雲で天穂日命の一族が勢力を誇ったのは、現在出雲大社がある西出雲ではなく、旧意宇郡(現在の松江市を中心とする島根県東部)である。旧意宇郡は、素戔嗚命やヤマタノオロチ伝説の発祥の地で、砂鉄によるたたら製鉄でも有名な斐伊川の上流も含む旧大原郡(現在の島根県雲南市)に隣接する地域である。

 斐伊川は、古来より氾濫を繰り返してきた暴れ川である。大量の土砂を流し出雲平野を形成した川で、同じく沖積平野を流れる荒川と同様に天井川(ii)である。その自然堤防(iii)上に多くの遺跡が残っているのは、出雲と武蔵に共通する特徴である。

 

 2.4 斐伊神社と神原神社の伝承

 氷川神社の創建を考察する重要な資料となるのが図1の神原神社縁起である。神原神社は島根県雲南市に位置する神社で、「斐伊神社を武蔵国に氷川神社として分霊したとき神原神社の神宝の十握剣を大宮氷川神社に渡して神宝とした。神原神社にはその模造品を納めた。」と伝えている。このことは斐伊神社の社伝にも残っており、大宮氷川神社にも同様の伝承があるという。

   神宝は神社の象徴であり、「神宝を譲渡する」という行為は神社の祭祀権を失うことを意味するとされるため、「出雲神宝事件(4)」のような騒動に発展する可能性もはらむ異常な行為である。さらに、神原神社を間に挟んで行ったことも踏まえるとかなり珍しい事例といえる。

 神原神社の宮司を務める宮川眞臣氏によると「自分の一家が宮司をしているのは祖父の代からで、その前には古瀬氏という方が宮司をしていた。古瀬氏は天穂日命の末裔を名乗っていて、斐伊神社の宮司もしていた。」とのことであった。

 この話から、古代から古瀬氏の直系の先祖が宮司をしていたとは言えないが、当時も天穂日命の子孫がこの2社に関連していたと推測することは出来る。

 すると武蔵国で氷川神社を創建したのは天穂日命の子孫であるため、同族の縁で分霊したと考えると神宝を譲渡する意味も理解できる。また、神原神社の敷地には古墳があり、鉄剣や卑弥呼の三角縁神獣鏡など多くの宝が見つかっている。近くには加茂岩倉遺跡、荒神谷遺跡といった有者な遺跡があり、神原の地名は神宝(かむたから)が転じて神原になったとも記されている特別な場所である。このような場所にある宝やその力を得て武蔵国の開拓を成功させようとしても不思議はないだろう。

 

 2.5 杵築大社説の検証

 ここでは氷川神社は杵築大社(出雲大社)から分霊されたとする説を検証する。まず、この説の根拠となっている『新編武蔵国風土記稿』の記述で杵築大社は「氷の川上」(斐伊川)にあるとされているが、斐伊川は現在宍道湖に注いでおり、出雲大社のそばは全く流れていない。また、斐伊川は度々流路を変えてきた中で古代には杵築大社の方面を通り日本海に注ぐ流路をとっていたこともあったようだが、それでも杵築大社の位置は斐伊川の「川上」というより「川下」である。なお、斐伊神社は今も昔も斐伊川の「川上」に位置している。

 また、斐伊神社、氷川神社の主祭神に素戔嗚命がある一方で、出雲大社は大国主命を祀るために創建されたもので、祭神は当然、大国主命である。もっとも出雲大社の祭神も9~17世紀には素戔嗚命となっていたが、もしこの時期に大宮氷川神社が勧請されたとするなら創建年代が合わなくなるため、考慮しなくてよい。

 以上のことから大宮氷川神社のもとが杵築大社であるという説は可能性が低く、むしろそれを斐伊神社に置き換えると筋が通るといえる。

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