平成27年度取材体験記2(花の湯・加賀藩下屋敷)

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ページ番号1007876  更新日 2020年1月25日

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歴史が詰まった心温まる銭湯 花の湯

文責 池津舞依

現在、全国の銭湯の数は5500軒ほどで、10年前の半数以下です。今でも減少は続いていて、若者の銭湯離れが進んでいます。しかし、板橋区では今でも35軒もの銭湯が営業しています。今回は、その中で旧中山道にある「花の湯」オーナーの三辻守さんにお話を伺いました。
東京の銭湯を代表とする唐破風と呼ばれる建築様式で、懸魚(げぎょ)という彫り彫刻がされている瓦屋根、まるで竜宮城のような外観。高さ23メートルの煙突が印象的な銭湯です。のれんをくぐり一歩店内に入ると、「ゆっくりしていってくださいね」と声をかけていただき、どこか懐かしいような、おばあちゃんの家に来たようなそんな安心感を持ちました。お客さんの声が聞けるよう設置されている箱には「お友達と会えてお話ができる」「1人暮らしをしていると、たまに銭湯に入ると温泉気分で幸せです」などたくさんの声が届いていました。開業したのは明治時代、歴史を感じる中で、人と人とのコミュニティーの場として、今なお愛されていることが分かりました。
花の湯は全ての水が軟水です。こういった銭湯は板橋区には2軒しかなく、美容や健康にもいいと評判です。今回初めて軟水を体験しました。手でせっけんを泡立てて、どんなに軟水で流しても、ずっとぬるぬるしていて落ちる気配がありません。しかし、タオルで拭くとそのぬるぬる感は消え、ポカポカとじんわり手に熱が広がっていきました。取材が終わり帰るときも、手がずっと温かかったのを覚えています。今度は心も体も全身で温かさを感じに行きたいと思います。
(取材:池津舞依・佐藤翔亮・櫻井千優)

写真1
ハッと圧倒されるインパクトのある外観
写真2
花の湯と彫刻がされている懸魚(げぎょ)
写真3
初めて体験した軟水に取材班全員で感動
写真4
歴史を感じる味のある番台

加賀藩下屋敷はなぜ消えてしまったのか?

文責 柳堀大吉

ご存じでしょうか。板橋区に江戸時代、加賀藩下屋敷があったということを。今となっては残っているものがわずかとなっています。なぜ加賀藩下屋敷がほぼ跡形もなく消えてしまったのか、その謎に迫りました。
下屋敷というのは、加賀藩が持っていた上・中・下屋敷のうちの一つで、下屋敷は主に別荘として使われていました。さらに川があり窪地であるという好条件から、大砲製造の場所ともなりました。
江戸幕府が崩壊した後、跡地は国の所有物となりました。その跡地に火薬製造所が建設され、石神井川にかかる水車を動力源にして火薬が作られました。その後、昭和に入り太平洋戦争中には、製造所を含む周辺は空襲の被害を受け、近くにあった寺院には焼夷弾を浴びて焦げてしまった木がまだ残っており、今もその生々しい傷跡が私たちの知らない時代を物語っています。
江戸時代、加賀藩下屋敷で大砲製造が始まり、時代が変わってもなお、武器が作られ、太平洋戦争が終わると武器製造にも終わりを告げました。火薬工場の跡地には、研究所や大学が建てられ、後にマンションなどが建設されました。
観光ボランティアの小泉繁樹さんから、今板橋に住んでいる人のほとんどがこのような歴史を知らないと聞き、若者にも伝えていきたいという強い思いを感じました。
(取材:柳堀大吉・岡澤健太・樋口貴郁)

写真5
火薬をひくときに使われた圧磨機圧輪
写真6
加賀藩下屋敷跡の地図
写真7
第二次世界大戦の焼夷弾を浴び傷跡が残る木

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