こうぶんしょ館電子展示室53号「和宮と板橋宿」

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ページ番号1009254  更新日 2020年1月25日

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写真1
和宮様御参向行列附(江戸時代)
写真2
和宮像(港区芝増上寺蔵)

こうぶんしょ館電子展示室53号
公文書館所蔵資料から見た

「和宮と板橋宿」

現在放映中のNHK大河ドラマ「篤姫」。幕末の動乱の中、気丈に生きる主人公天璋院篤姫、およびそれを取り巻く人物達の生き方について、多くの視聴者の方々が関心をお持ちだと思います。そのなかでも「皇女和宮(かずのみや)」については、公武合体の象徴として、将軍の御台所となるため若くして京都より江戸へ下向、夫である第14代将軍徳川家茂をはじめとする身内との死別、さらには約260年続いた徳川幕府の終焉を看取るなど、その人物像、ならびに数々のエピソードに興味をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
そこで今回の電子展示室では「和宮と板橋宿」と題して、中山道板橋宿および板橋に残る皇女和宮下向にまつわる話、および関係する写真資料を紹介していきたいと思います。

板橋宿とは

江戸より2里半(約10km)、中山道第一の宿である板橋宿は、江戸時代から多くの人々が行きかう交通の要所でした。
板橋宿は滝野川との境より前野村まで、その長さは20町9間(約2.2km)で、江戸日本橋から見て平尾宿・仲宿・上宿の三宿からなり、天保14年(1843)には人口約2500人、家数573軒、旅籠は大小あわせて54軒という規模を誇る宿場でした。
物流の要所として商品経済の発展に大きな役割を果たした板橋宿の繁栄は、明治以降の板橋の商業発展の土台となったことは言うまでもありません。

写真3
増上寺にある和宮墓所(徳川将軍家墓所内)
写真4
縁切榎近影(平成17年撮影)

皇女和宮の降嫁と板橋宿

幕末の安政5年(1858)、日米修好通商条約締結の後、朝廷と幕府の関係は次第に悪化していきます。この状況を打開すべく幕府によって進められたのが、孝明天皇の妹の宮である和宮親子内親王の将軍家茂への降嫁でした。
幕府は万延元年(1860)、和宮の降嫁を正式に朝廷に願い出ます。一旦は断られますが、最終的には幕府側が押し切るかたちで勅許がおり、文久2年(1862)2月11日、将軍家茂と和宮の婚礼が執り行われることに決まりました。
これにともない和宮は江戸へと下向します。文久元年10月20日、京都を出発した和宮一行は、中山道を使い途中大津から板橋まで23の宿場に泊まる行程で江戸へと向かいました。その行列の長さは数十キロにおよんだといいます。
板橋宿に和宮一行の行列が到着したのは、11月14日申半刻(午後5時頃)、和宮は脇本陣の飯田宇兵衛家に入りました。皇女の通行ということで、和宮下向以前に板橋宿内の建物は修復・新築が行われ、その費用として金1412両、銭166文9分が費やされたといいます。

皇女も避けた「縁切榎」

さて、板橋宿と和宮に関する話にはもう一つ面白いものがあります。それは「縁切榎(えんきりえのき)」にまつわる話です。
中山道板橋宿のはずれ、岩の坂の旗本近藤家抱屋敷(かかえやしき)北側に「縁切榎」(現.板橋区本町)と呼ばれる木が立っていました。江戸時代の地誌書『新編武蔵風土記稿』によると「世に男女の悪縁の断絶せんとするもの、この樹に祈て験あらずと云ふことなし、故に嫁娶の時は其名を忌て、其樹下をよこぎらず、よりて近き年樂宮御下向の時も、他路を御通行あらせられしなり」と、いつの頃からか男女の悪縁を絶つ霊験がある縁切りの「霊木」とされるようになり、更にこの木の下を嫁入り行列が通ると、必ず不縁になるとまで言われるようになったようです(悪縁から良縁まで・・・)。
このように、ある種、民衆のたわいもない流言のような話ですが、和宮以前に徳川家へ降嫁した五十宮(いそのみや)、楽宮(さざのみや)一行の行列も、この伝承を信じてか、この「縁切榎」の下を通ることを避けたということです。
そして、和宮下向の際も同様に、迂回の道路をつくって「縁切榎」を避けたことが史料で確認されています。なお、榎を菰(こも)で包み、その下を通って板橋本陣に入ったという伝承も残っています。いずれにせよ、公武合体の象徴として将軍家に嫁ぐ身の和宮ですから、このような「いわく」ありげな場所をあえて通行させたいとは思わなかったのでしょう。
これもまた板橋と皇女和宮をむすぶエピソードの一つです。

参考文献

  • 『新編武蔵風土記稿』第一巻(大日本地誌大系、雄山閣、1963年)
  • 十方庵主『遊歴雑記』(影印本、三弥井書店、1995年)
  • 『板橋区史(旧版)』(板橋区、1954年)
  • 『図説 板橋区史』(板橋区、1992年)
  • 『板橋区史 通史編 上巻』(板橋区、1998年)

※これらの資料、参考文献のほかにも、公文書館では江戸時代の板橋宿および周辺農村に関する様々な資料が保存され、利用できるようになっています。ぜひとも気軽に足をお運びください。

写真5
和宮がはいたと伝わる草履(板鼻宿)
絵画
江戸時代当時の板橋宿(江戸名所図会)

写真6
行列の助郷を記す文書(安井家文書)

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