こうぶんしょ館電子展示室47号「特別区制度と板橋区の成立」

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ページ番号1009260  更新日 2020年1月25日

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独立当時の練馬区役所庁舎

こうぶんしょ館電子展示室47号

「特別区制度と板橋区の成立」

今年は練馬区が板橋区から「分離独立」して60周年、つまり現在の23区制となって60周年ということになります。板橋区や練馬区を始め、東京都の23区は特別区と呼ばれています。今回は特別区の行政区域の変遷を中心にご紹介します。

特別区とは

東京都の23区が特別区といわれるのは、地方自治法で「都の区は、これを特別区という」と規定されているためです。
現在のところ都は東京都にしかないので、特別区=東京都の23区となります。特別区は、その名が示すとおり、地方自治法上「特別地方公共団体」とされており、普通地方公共団体である市町村とはその扱いが異なります。
また、同じ「区」でも、横浜市などの政令指定都市に置かれている行政区(例えば横浜市青葉区など)とも大きく異なっています。特別区と行政区の根本的な違いは、行政区は市の権限に属する事務を行うために設けられた、いわば市の一組織であり、特別区のような独立した地方公共団体ではないということです。

特別区行政区域の変遷

現在の特別区の区域とほぼ同じになったのは、昭和11年(1936年)のことですが、当時は麹町区や淀橋区など現在よりも12区多い、35区で構成されていました。
板橋区の行政区域の変遷については、電子展示室の第37号でもご紹介していますが、ここでは、特別区全体について見ていくことにします。
大政奉還後、江戸には明治新政府がおかれ、呼び名も東京となりました。明治政府は、地方行政組織として府・藩・県の3つを置き、徳川幕府時代の朱引内(*)の区域を管轄する行政組織として東京府を開設しました。
*朱引内(シュビキウチ)とは、もともと地図上に朱線を引いて区画した範囲内の意味で、ここでは文政元年(1818年)に江戸幕府が曖昧になっていた「江戸」(御府内)の内と外との境界を定めるために引いた線の内側のこと、いわゆる「江戸」を示す言葉としてもちいられています。
この朱引内を、現在の区でいうと、千代田区、中央区、港区、新宿区、文京区、台東区、墨田区、江東区、品川区の一部、目黒区の一部、渋谷区、豊島区、北区の一部、板橋区の一部、荒川区となるそうです。板橋区では、上板橋村、下板橋村(現在の加賀、板橋町)などが朱引内とされ、その他の区域は朱引き外として武蔵県に属していました。
明治4年(1871年)に廃藩置県が行われ、現在の板橋区域のすべてが、東京府に移管、豊島郡に組み込まれました。
明治4年、全国一律の戸籍をつくるため戸籍法が制定され、戸籍の編成単位として区が置かれました。この区制は大区小区制といわれ、郡・町・村を廃止し、東京府では6の大区とその下に97の小区をおきました。例えば、従来の豊島郡下板橋宿は、第九大区四小区下板橋宿と呼ばれることとなりました。
明治11年(1878年)、大区小区制が廃止、郡区町村編成法が制定され、府県の下に郡、町、村が置かれることとなりました。また、東京府や京都府、神戸港や新潟港(三府五港)などの人口の多いところには、郡とは別に区が置かれることとなりました。
東京府は中心部に15区(麹町区、神田区、日本橋区、京橋区、芝区、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区、小石川区、本郷区、下谷区、浅草区、本所区、深川区)、隣接する区域を6郡(荏原、東多摩、南豊島、北豊島、南足立、南葛飾)に編成しました。
明治22年(1889年)には、市制、町村制が施行され、東京府は、先の15区を区域とした東京市を置きました。
*東京府→→1.2.3
[1]→東京市→→15区(東京、大阪、京都の3市だけ区制度が残り、それ以外の区は市となりました。)
[2]→6郡→→→町・村
[3]→島しょ→→伊豆七島(明治11年)、小笠原諸島(明治13年)
東京市、大阪市、京都市を除く他の一般市には市会議員や市長が置かれましたが、この3市については、「市制中東京市・京都市・大阪市に特例を設クルノ件」(いわゆる三市特例法)が制定され、他の市と異なり市長は府知事が兼ね、市役所もないなどの変則的な形態となりました。(この特例法は明治31年(1898年)9月30日で廃止され10月1日から一般の市制へと転換、これを祝して都民の日が設けられました。)
東京府の区域は、15区と6郡に加え、伊豆七島を静岡県より編入、内務省(現総務省)から小笠原諸島を引き継ぎ、明治26年(1893年)には、神奈川県に属していた西多摩、南多摩、北多摩の3郡が編入され、現在の東京都の区域がほぼ確定しました。
昭和7年(1932年)、東京市と東京市に隣接する5郡(東多摩郡と南豊島郡が合併して豊多摩郡となり、5郡となりました。)82町村との併合(市郡併合)が行われ、新たに20区を新設、東京市の区域は、それまでの15区から一気に35区へと拡大しました。
この市郡併合により、板橋町、上板橋村、志村、赤塚村と練馬町、石神井村、大泉村などの3町6村を併合し、板橋区は誕生しました。この併合については、板橋区史には「市郡併合当日の十月一日には各地で祝賀行事がもよおされた。(略)市郡併合は板橋区域では特に反対運動もなく円滑に実施された。」と記載されていますが、一方の当事者である練馬町や中新井村などの練馬区域は反対の声が根強く、練馬周辺の8町村を一区として認めるよう陳情書も出されましたが、昭和7年10月1日、35区で東京市は発足しました。『練馬区史』には、「旧十五区に匹敵する面積を一区として統轄する無理を押して「板橋区」が成立したのである。(略)・・住民の希望を十分に反映したものではないことは明白であった。」と記載されています。練馬地域が一つの区として発足するのは、この15年後のことです。
市郡併合を経て、第二次世界大戦中の昭和18年(1943年)、帝都たる東京に、国家的性格にふさわしい体制の確立等を目的として東京都制が施行されました。東京府の区域を東京都とし、東京府と東京市は廃止、区は「都ノ下級行政組織ハ原則トシテ区トスル」こととされました。

戦後の特別区

昭和20年(1945年)の敗戦を経て、21年に市制、町村制、府県制の改正とともに東京都制も改正されました。それにより区の課税権が認められ、区長が公選制となるなど、区の権限が強化されました。22年(1947年)に地方自治法が施行されることにより東京都制も廃止されましたが、区に関する規定は引き継がれ、地方自治法において「都の区はこれを特別区という。」と規定されました。
区の権限が強化されることに伴い、それを担いうる区の体制を整備することが緊急の課題となり、戦災による各区の人口分布の差の解消や、区の財政基礎の確立の必要から、区の整理統合が行われました。
東京都に設置された「東京都区域整理委員会」の審議の結果、22区案が適当とされ、それまでの35区から22区へと再編されました。区と区の統合を目的とした再編のため、ここでも練馬区の成立は見送られることとなりました。昭和22年3月に22区制が施行されてから半年後の8月1日、長年の悲願であった練馬区が新たに発足、特別区は23区制となり、現在にいたっています。
板橋区については、練馬区が独立後、昭和25年(1950年)には、荒川の河川改修に伴い飛び地となっていた埼玉県戸田町の一部を板橋区に編入、これを記念して昭和26年(1951年)から花火大会が開催されました。今年の花火大会は8月4日に開催され、板橋区と戸田市双方で約1万1千発の花火が夜空を彩りました。
[参考文献]

  1. 「旧江戸朱引内図」(文政元年(1818年)、東京都公文書館所蔵)
  2. 『板橋区制50周年記念誌 わが街・いまむかし』(板橋区、1982年)
  3. 『板橋区史 通史編 下巻』(板橋区、1999年)
  4. 『練馬区史 現勢編』(練馬区、1981年)
  5. 『板橋のあゆみ 地方自治法施行30周年記念写真集』(板橋区、1978 年)
  6. 『練馬区独立50周年記念 ねりま50年の移り変わり』(練馬区、1990 年)
  7. 『特別区 都区調整の十年』(都政通信社、1957年)

*2から6までの資料は公文書館においてご覧になれます。
*上記の写真のすべては、公文書館で閲覧、利用(一部利用できない場合もあり)することができます

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