没後160年記念展 高島秋帆~高島平のはじまり~
展示について

高島秋帆は、長崎町年寄出身の西洋流砲術を完成させた砲術家です。天保12年(1841)5月9日高島秋帆とその弟子99人は、幕命により武州徳丸原、現在の東京都板橋区高島平において西洋式砲術演習を行いました。この演習は、戦国時代以来の砲術を主体とする幕府や各藩に大きな衝撃を与え、多くの藩が西洋流砲術を導入しました。この徳丸原で行われた西洋式砲術演習を契機として、日本において軍事技術の西洋化が拡大したことから、高島秋帆と西洋流砲術を日本における西洋の近代的な軍制を取り入れる契機になったといえます。
高島秋帆は、徳丸原の演習の翌年、罪により中追放の処分を受け、岡部藩預かりとなり、自由を制限された生活を送ります。その後、嘉永6年(1853)のペリー来航を機に罪を解かれ、幕臣として復帰します。復帰した高島秋帆は、幕府が設置した訓練施設である講武所の砲術師範を務め、砲術の指導者として活躍します。
その後、慶応2年(1866)1月14日、幕府の終焉を見ることなく亡くなり、令和8年(2026)には、没後160年を迎えます。
高島秋帆が演習した地である徳丸原は、昭和36年(1961)頃から土地開発の計画が持ち上がり、昭和40年に板橋区都市区画整理事業として団地建設が決定しました。団地の建設に伴い、新しい住居表示を決める際、かつて徳丸原で活躍した高島秋帆から「高島平」と名付けることが決まりました。高島平は、大規模な再開発が決まり、新たな一歩を踏み出そうとしています。
本展覧会では、高島平の地名の由来になり、没後160年を迎える高島秋帆と再開発が決まった高島平の誕生と団地開発について紹介します。
- 会期
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令和8年1月24日(土曜日)から3月15日(日曜日)
- 開館時間
- 午前9時30分から午後5時(入館は午後4時30分)
- 会場
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2階企画・特別展示室
- 休館日
- 月曜日(祝祭日の場合は翌火曜日が休館)
- 入館料
- 無料
関連イベント
準備でき次第お知らせいたします。
展示予定資料



下曽根金三郎→松伯耆守
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