【ミニ企画展】鉄砲の変遷

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ページ番号3000329  更新日 2022年6月1日

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展示について

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期間:令和3年4月1日(木曜日)-7月4日(日曜日)

於:郷土資料館 常設展示室内 ミニ企画展展示会場

時間:午前9時30分-午後5時(入館は午後4時30分まで)


日本に伝来した鉄砲(火縄銃)は、当時の戦い方を大きく変え日本に浸透していくなかで様々な形状が誕生します。戦国時代で多くの活躍を見せた火縄銃は、江戸幕府に入って以降も生産されるだけでなく、火縄銃の打ち方に関する流派も誕生し各諸大名や旗本に抱えられました。幕府では井上流・田付流と呼ばれる流派が幕府解体時まで存続し隆盛を極めました。

江戸時代後期、長崎町年寄の高島秋帆と父四郎兵衛は、出島を出入りするオランダ人から西洋の砲術を学び、オランダへ大砲や銃の注文を始めました。天保3年(1832)ごろには長崎町年寄の間でオランダからゲベール銃やモルチール砲ホーイッスル砲などの西洋銃や大砲を輸入していました。そして、天保11年にはミュエレン著「砲術入門」を底本として「高島流砲術」がほぼ完成し、その成果として天保12年5月9日に徳丸原(現在の高島平周辺)で西洋式砲術調練が行われました。

高島秋帆が広めたオランダ式の西洋流砲術は、その後幕府がイギリス・フランス式の軍政改革を行ったことで終焉をむかえます。

その後明治時代に入ると、海外から軍事に関する技術や西洋銃などの武器を輸入するようになり日本の軍事技術の近代化が急速に進みました。

今回のミニ企画展では、当館が所蔵する火縄銃と西洋銃から日本の鉄砲の変遷を見ていきます。

鉄砲
火縄銃「銘 國友利左衛門作」
スナイドル
スナイドル銃
ペッパーボックス
ペッパー・ボックス銃

このページに関するお問い合わせ

板橋区立郷土資料館
〒175-0092 東京都板橋区赤塚5-35-25
電話:03-5998-0081 ファクス:03-5998-0083
教育委員会事務局 生涯学習課へのお問い合わせや相談は専用フォームをご利用ください。