教育広報「教育の板橋」(テキスト版)第109号 4面

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ページ番号1040727  更新日 2022年9月6日

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教育広報 教育の板橋 2022年9月5日号 第4面です

学校の今と昔

―区制90周年と教育委員会成立70周年―

祝90周年と70周年

 今年は、昭和7年(1932)10月1日に板橋区が誕生してから90年がたちます。また、明治5年(1872)に太政官から学制が布告され、全国に学制が敷かれてから150年、昭和27年10月5日に板橋区教育委員会が成立してから70年の節目です。この機会に学校の今と昔を比べてみましょう。

江戸時代の学校

 明治時代に公立学校ができる前の江戸時代は、学校の代わりに「読み・書き・そろばん」を教える「寺子屋」があり、師匠と呼ばれる人が子どもたちを教えていました。いくつかの寺子屋は、明治時代に学制が公布されると小学校へ変わりました。明治7年には板橋学校(現板橋第一小学校)と紅梅学校(現紅梅小学校)が設立され、同9年には上板橋学校(現上板橋小学校)が設立されました。この3校が区内で最も早い時期にできた学校です。明治初期にできた学校では、地域の有力者が学務委員として地域の教育に関わり、金銭的な援助など学校の運営に関わりました。このように古くからある学校は、地域の方々の熱い想いに支えられ成り立っていました。
 こうした地域の想いを学校の方針に反映する仕組みは、現在の板橋区コミュニティ・スクールの考え方に通じるものがあります。

明治・大正の教員

 では、昔の学校の写真と今の学校の様子を比べてみましょう。紅梅小学校には、大正15年(1926)の教職員の写真が残されています(写真A)。学制公布直後の教員は、寺子屋で教えていた師匠や教員講習所で短期間の講習を受けた者、師範学校の卒業者など、様々な経歴を経た人たちで構成されていました。それでも正規の教員は不足していたため、多くの授業生や雇教員(後に代用教員)が授業を行いました。
 現在の学校でも、正規の教員だけでなく、学力向上専門委員や学校生活支援員といった方々に支えられ、質の高い授業が行われています。

上板橋小学校の校舎

 上板橋小学校に関する資料として、昭和2年における上板橋村役場の新築開庁記念絵葉書に校舎の写真があります(写真B)。当時は、役場と並んで学校の存在が地域の誇りであったことがうかがえます。明治40年頃の校舎の改装では、教室の窓を障子からガラス戸に替え、子どもたちは大いに喜び、勉強にも力が入ったそうです。新しい学習環境には大きな教育的効果があったと伝えられています。
 現在も学校の改築で「みどりと文化の交流協定」を結ぶ日光市のスギやヒノキを使用するなど、木の温もりに包まれたあたたかみのある学習環境づくりを進めています。また、オープンスペースを多く取り入れ、中学校では教科センター方式を採用し、教科ごとに教室を移動することで子どもたちの学びに向かう気持ちを高め、確かな学力の定着と向上をめざしています。
 

戦前の時間割

 また、上板橋小学校には昔の時間割が残されています。授業内容は、綴り方、読み方、算術、図画、体操、修身(道徳)、唱歌、国史、地理、理科、手工(男)・裁縫(女)、世界地理、農業でした。時間割の略語からは、習字や商学(簿記)、英語も学んでいたことがうかがえます。なお、この時間割(写真C)が高等小学校2年生のもの(明治40年から昭和16年の制度)であれば、現在の中学校2年生にあたります。学制の公布当時から英語も授業科目に取り入れられていましたが、昭和16年の太平洋戦争の開始から同20年の終戦にかけて、英語は敵国語として廃止されていたようです。

給食のはじまり

 皆さんになじみのある給食は、戦前から実施されていました。板橋第三小学校では、昭和8年に区内最初の給食施設を設けたことが記録されています。戦時中は学校給食が一時中断しましたが、昭和22年に給食が開始されました。同33年には「学校給食用牛乳取扱要領」により、給食に出されていた脱脂粉乳が牛乳へと変わりました。区内では、同38年に中学校でミルク給食が始まりました(写真D)。
 現在、区では給食の機会を捉え食育の推進に努めています。

オリンピックとプール

 夏の楽しみであるプールは、東京オリンピックと同年の昭和39年に「体育施設整備5か年計画」が出されたことにより、昭和40年頃を境に急速に学校に作られていきました(写真E)。
区内では、敷地面積の問題から、校舎の屋上にプールが設置されていることが多いようです。

教育委員会制度の歴史

 再び、教育の歴史に戻ります。昭和20年の太平洋戦争後、まもなくアメリカから派遣された教育使節団と日本側の委員が提出した報告書に基づき、日本の教育方針が決まりました。この概要を記すと、民主的な教育の基本は、個人の価値と尊厳を認め、個人の能力と適性に応じて教育の機会を与え、国が一律に教育の内容や方法・教科書を決めることなく、学校や教師の自由を認めるべきとまとめられています。この報告書をもとに教育に関する法律が制定され、「教育を受ける権利」・「教育を受けさせる義務」・「教育の無償化」が定められました。
 こうして戦前・戦中期の教育制度に対し、民主的な教育理念・教育方法を整える中で、教育委員会が成立しました。政治的中立性、継続・安定性、地域住民の意向を反映させることを目的に、教育委員会制度に関わる法律の改正を経て、現在の板橋区教育委員会も生まれています。板橋区教育委員会は、委員会を代表する教育長と4人の教育委員による合議制の行政委員会として運営されています。
 

学校のことを調べてみよう

 ここまでは、今と昔を比べながら、学校の歴史を見てきました。今も昔も、学校の成立や改革には、地域的な課題の解決や願いが込められていることがお分かりいただけたでしょうか。この記事を見て、自分が通う、あるいは通っていた学校のことを調べてみたくなったら、記念誌を読むことをおすすめします。それぞれの学校の記念誌は、概ね10年を1つの節目として、各学校で作られており、中央図書館や地域の図書館のほか、公文書館などで見ることができます。自分が住んでいる地域の歴史を学校の歴史から学んでみてはいかがでしょう。
 

問い合わせ

生涯学習課文化財係 電話03-3579‐2636

教育に関する広報紙

 教育広報「教育の板橋」は1・4・9月に発行しております。また、奇数月には、「いたばし教育チャンネル」を発行し、教育委員会が行っている事業等について情報発信しております。区ホームページでご覧いただけます。

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教育総務課庶務係 電話番号03-3579-2603

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