梅下双鶏図 谷文中 江戸時代

このページの情報をツイッターでツイートできます
このページの情報をフェイスブックでシェアできます
このページの情報をラインでシェアできます

ページ番号4000514  更新日 2024年2月27日

印刷大きな文字で印刷

技法
絹本著色
サイズ
(各)135.4cm×45.5cm
作品:梅下双鶏図 谷文中
双幅

谷文中(1823~1876)は、谷文晁(たにぶんちょう)派の画家です。画法を父の谷文二に学び、幕末から明治にかけて、江戸・東京で活躍した画家です。
この時期は、絵画の世界でも新しい時代への変化がありました。それは、単に洋画という技法上に違うものが外国から入ってきたというだけでなく、筆使いの方法や構図のとり方、あるいは洋風の写実理論などが知られるようになったのです。それらを、当時の画家たちは、各々の絵の中にどうとり入れていくかを研究していったのです。ですから、この時期の絵画界も時代とともに、大きな転換期であったといえるでしょう。
この作品も、掛軸の一幅対でありながら、構図的には一つに連続させて左幅から右幅に流れる画面構成をとるなど、文中の新しいアイデアが見られます。その一方で画風に忠実な面もあります。
この絵の画風は南蘋(なんぴん)派風といわれるもので、18世紀半ばに渡来した中国人沈南蘋(しんなんぴん)が伝えた写生画法です。日本に広めたのは日本人の宋紫石(そうしせき)で、洋風画導入直前の江戸画壇に強烈な刺激を与えました。
この南蘋派は濃密な画面構成を特徴としますが、宋紫石は主題以外の背景などをかなり省略する。傾向が見られます。文中のこの作品も、主題の梅と鶏は精密に筆を凝らして描き、それ以外は一段調子を落としています。十分な余白をとることで、空間の存在は意識化され眼線は主題に添って自然に流れるように配慮されています。半世紀以上前の宋紫石にならうことは、かえって新鮮であり、そこに双幅を一画面として使う新たな試みを加えることで画面は淡白でありながら洗練されたものとなっています。
文中自身の秀作であるとともに、当時の日本絵画の動向を知る手がかりともなる作品といえるでしょう。
TANI Bunchou