浅野梅堂母像 椿椿山 江戸時代

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ページ番号4000518  更新日 2022年12月15日

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技法
絹本著色
サイズ
66.7cm×52.3cm

作品:浅野梅堂母像 椿椿山

椿椿山(1801~1854)は、武士の出身で、江戸後期に活躍した文人画家です。文人画とは、文人(知識人)の余技的な絵画のことをいいます。初め渡辺崋山(わたなべかざん)と同じく金子金陵(かねこきんりょう)について画を学びました。金陵没後は崋山に師事し、1839年蛮社の獄(ばんしゃのごく)で崋山が逮捕されたとき崋山赦免運動の中心となって活躍しました。
椿山は崋山の画風を受け継ぎ、より温和な特徴をもつ肖像画、花鳥画を描きました。肖像画にはことのほか優れ、近代の人物写生に直結する画域に達しました。浅野梅堂は椿山の弟子で、その母親像は年老いてもなおき然とした姿で、しわの一本一本にいたるまで詳細に描かれています。ひざの上で組まれた大きめの手や、きゅっと結んだ口元からも意志の強い人柄がにじみでています。そして何よりも眼差しから厳しいながらも優しい母親の暖かみが感じとれます。椿山の描く肖像画には、その人物の内面をも描き出す絵の深みが感じられます。
TUBAKI Chinzan