日曜寺田安家奉納仏画〈有形文化財(歴史資料)〉

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ページ番号1038310  更新日 2024年3月28日

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日曜寺田安家奉納仏画

(にちようじたやすけほうのうぶつが)

 「日曜寺田安家奉納仏画」は、徳川8代将軍吉宗の次男で、徳川御三卿の初代田安家当主・田安宗武(たやすむねたけ)とその親類縁者が奉納したと伝わる仏画を一括したもの。内訳は、愛染大曼荼羅(あいぜんだいまんだら)、金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)と胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)の二幅一対からなる両界曼荼羅(りょうかいまんだら)、そして「弘法大師影像(こうぼうだいしえいぞう)」の4幅である。
 日曜寺は、光明山日曜寺(こうみょうさんにちようじ)と称し、本尊は愛染明王(あいぜんみょうおう)、総本山は文京区湯島にある霊雲寺(れいうんじ)である。18世紀初めに宥慶比丘(ゆうけいびく)によって開かれたとされ、のちに田安宗武の保護を受けて田安家の祈願寺として繁栄した。
 19世紀成立の『新編武蔵風土記稿』(しんぺんむさしふどきこう)によると、田安宗武をはじめ正妻の寶蓮院(ほうれんいん)、息子の松平定信らも当寺に仏像、仏画等を奉納したことが記されている。なお、区登録有形文化財である「日曜寺扁額」も松平定信が自らの筆跡を額に仕立てて奉納したものである。
 当寺は、第二次世界大戦で被災した際に山門以外は境内のほとんどが焼失したとされ、寺内にあった仏像や仏画も失われたと伝わっている。ところが、今回、文化財調査を行ったところ田安家奉納の仏画等が発見された。そのうち、愛染大曼荼羅は絹本著色(けんぽんちゃくしょく)、寸法は縦288.0×横194.5(cm)、両界曼荼羅は紙本著色(しほんちゃくしょく)でどちらもおよそ縦横260.0×220.0(cm)の大きさである。仏画の特徴は、筆致が非常に精細であり、さらに両界曼荼羅の構図が日曜寺の総本山霊雲寺に特有の形式をとる点もあげられる。いずれも描表装(かきびょうそう)の部分に徳川家の葵御紋が金泥(きんでい)で描かれ、一部は菊紋の上に葵御紋が重ねて描かれる。加えて、同じく描表装に金泥で描かれた鳳凰が飛び交い、豪華な装丁が施されている。また、絵師については他の霊雲寺派寺院に所蔵されている両界曼荼羅と比較したところ、江戸幕府の仏画制作に携わった神田宗庭(かんだそうてい)が関与した可能性が考えられる。
 「弘法大師影像」は、絹本着色、描表装で縦横142.5×50.3(cm)である。仏画は損傷が大きく、これは火災が原因と伝わる。史料の端裏書(はしうらがき)に、もとは田安宗武の屋敷にあったが、屋敷が火災に見舞われた際に灰中から取り上げたと記されており、『新編武蔵風土記稿』にも同様の記載がある。田安家や江戸幕府の文献資料にも当家で火災が発生したことが記され、この伝来を裏付けている。
 これらの奉納品は江戸時代中期の板橋区内における日曜寺の活動や、徳川御三卿の田安家との関わり、そして近世における仏教美術をを明らかにする資料としても貴重である。

所在地

大和町47-1(日曜寺境内)

登録日

令和4年3月8日

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