観明寺豊田家奉納仏画〈有形文化財(歴史資料)〉

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ページ番号1051859  更新日 2024年3月28日

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観明寺豊田家奉納仏画

(かんみょうじとよだけほうのうぶつが)

 本資料は、14世紀創建と伝えられる真言宗豊山派の寺院で、近世には平尾宿の寺院として信仰を集めていた如意山観明寺に伝わる仏画≪仏涅槃図≫、≪釈迦十六善神図≫と付属箱からなる。
 ≪仏涅槃図≫の作者児玉梅坪は、享和元年(1801)大和国柳生藩の藩士の子として生まれ、江戸で頼山陽、佐藤一斎らから儒学を学び、柳生藩文武館の教授を務めた。元治元年(1864)から江戸勤めとなったと伝えられるが、致仕して常陸国多賀郡中妻村(現在の茨城県常総市)で私塾を開いた。当時は市井の需めに応じ絵画制作をする文人墨客として知られていた。≪仏涅槃図≫の箱書からは、弘化4年(1847)の火災で観明寺の什物が失われ、安政4年(1857)7月、平尾宿名主豊田氏の発起により、当時下板橋宿に滞在していた児玉梅坪が半年間をかけて制作し、安政5年の涅槃会の2月に奉納されたことが判明する。仏涅槃図は、釈迦の遺徳追慕と報恩を祈る涅槃会の本尊とされるもので、江戸時代には絵仏師のほか狩野派を含む職業絵師による彩色(著色)画が主流を占めた。対して梅坪は、墨の濃淡を活かした抑揚ある筆致で図様の細部まで入念に描き込んだ墨画作品に仕上げており、梅坪の文人墨客ならではの見識と技量の高さを窺わせている。
 ≪釈迦十六善神図≫は、釈迦如来と文殊・普賢の脇侍菩薩の三尊を中心に、法涌・常啼の二菩薩、笈を背負う玄奘三蔵と深沙大将、そして四天王を含む十六体の護法善神を描いたもので、一般的に玄奘三蔵訳『大般若経』六百巻を転読して除災招福を祈る般若会の本尊として懸用される仏画である。箱蓋表に「嘉永四亥年四月八日新調也」の墨書があり、嘉永4年(1851)の仏誕に合わせて新たに制作されたもので、作者の署名落款はないものの、各々の面貌や衣文表現等は緻密で破綻のない描写力を示しており、手練れた絵仏師の筆になるものと推察される。箱蓋裏の銘により豊田市右衛門によって観明寺に奉納されたこともわかり、上述の≪仏涅槃図≫の来歴を踏まえれば、≪釈迦十六善神図≫も弘化年間の火災を契機に「新調」され、豊田家によって納められたものと考えられる。
 本資料は近世後期における平尾宿名主豊田家と観明寺の交流の実態を理解することができる重要な価値をもつものである。

所在地

板橋3丁目25番1号(観明寺境内)

登録日

令和5年3月8日

仏涅槃図

釈迦十六善神図

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