圓福寺のご案内

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ページ番号1004862  更新日 2020年1月28日

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写真1
圓福寺

室町時代に太田道灌によって川越で創建され、江戸時代初期に当地へ移転して来たと伝えられている曹洞宗寺院です。江戸時代は、将軍家から20石の寺領を寄進された朱印寺でした。境内には高野山より移植したというコウヤマキが境内に繁っています。明徳2年(1391)の雲版や文明17年(1485)の月待画像板碑、江戸時代から昭和期までの圓福寺や西台地域の様子が分かる古文書、開基の太田道灌像が伝えられています。

所在地

板橋区西台3-32-26

交通

東武東上線「東武練馬」徒歩12分
都営三田線「西台」徒歩20分
国際興業バス「南西台」「西台都営住宅」徒歩5分

所蔵文化財

圓福寺明徳二年雲版

板橋区指定有形文化財(考古資料) 昭和59年2月22日指定 見学不可
雲版とは、寺院内での修行や法要の際に時報を知らせるために打ち鳴らす道具の一つです。青銅や鉄でつくられ、上部の肩部に切れ込みがあり、雲形をしていることから「雲版」と呼ばれています。主に禅宗寺院の庫裏や斎堂の前にかけられ使用されます。圓福寺の開基は太田道灌とされ、この雲版も道灌が茶室で使用していたとの伝承があります。銘文は「武州高麗郡圓[ ]寺常住 住持[ ] 明徳二辛年六月一日」( ※[ ]は判読不能)とあり、明徳2年に作られています。もともとは高麗郡(埼玉県)の圓[ ]寺にあったものが当寺に伝わったものと考えられます。天保7年(1836)に刊行された地誌『江戸名所図会』にはこの雲版が挿絵とともに紹介されており、少なくとも江戸時代には当寺が所蔵していたことが判かります。
高37.7cm、幅35.5cmを測り、区内唯一の中世に作られた雲版で、保存状態も良好であることから文化財となりました。

写真2
圓福寺明徳二年雲版

圓福寺月待(つきまち)画像板碑

板橋区指定有形文化財(歴史資料) 平成8年3月8日指定 見学不可
板碑は、中世に供養塔として造立された石造物の一つで、卒塔婆(そとうば)の原形ともいわれています。区内に所在する数百基の板碑はすべて埼玉県秩父地方で産出する緑泥片岩(りょくでいへんがん)を使用し、それが板状に成形されています。そして表面に造立年月日(供養年月日)・被供養者名(法名)・仏を表す種子(しゅじ)・梵字(ぼんじ)・偈(げ)・真言・造立趣旨などが刻まれています。この板碑は室町時代(15世紀)に出現した民間信仰集団(結衆)によって造立されたものです。その内容から月待供養板碑とも呼ばれています。月待とは十五夜・二十三夜など定められた月齢の夜に人びとが集まり、月の出を待って儀礼・礼拝を行う民俗行事のことです。江戸時代には各地で盛んに行われていましたが、この板碑はその先駆的なものとなる貴重な資料といえます。銘文には文明17年の造立年月日に加え、道秀など6名の結衆と上部に「月」「日」が配されていることが特徴といえます。ほぼ完全な形で保存状態も良好であり文化財となりました。

写真3
圓福寺月待画像板碑

圓福寺のコウヤマキ

板橋区登録記念物(天然記念物) 平成7年3月13日登録
コウヤマキは、スギ科の常緑高木です。
圓福寺移転当時に和歌山県の高野山より移植したという伝承があり、寺の御霊木として信仰を集めてきました。枝葉を十分広げられる環境にあり、樹勢は良好です。樹種としても日本の特産種であり、区内でも珍しい巨木です。

その他の所蔵文化財

圓福寺文書(見学不可
圓福寺太田道灌像(見学不可

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このページに関するお問い合わせ

教育委員会事務局 生涯学習課
〒173-8501 東京都板橋区板橋二丁目66番1号
電話:03-3579-2633 ファクス:03-3579-2635
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