2026年5月16日 特集展示 生誕120年小牧源太郎 講演会

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ページ番号4002058  更新日 2026年5月17日

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特集展示 生誕120年小牧源太郎展の開催に合わせ、小牧源太郎に関する研究や展示をされてきた京都府京都文化博物館の清水智世さんに「小牧源太郎のフェティシズムー京都から広がる世界」と題してお話をいただきました。

京都府の日本海側の町、現在の京丹後市に生まれ、19歳からは京都市内で制作を続けた小牧ですが、板橋に暮らした画家、古沢岩美とは戦前、戦後を通じて交友がありました。

講演タイトルにあるフェティシズムという言葉の定義について、小牧は自身のノートの中で呪物主義のことを指すと記しているそうです。

小牧の略歴も参考にしつつ、初期から晩年までの作品をご紹介いただきました。

清水さんも企画に携わられた「シュルレアリスムと日本」展でご紹介したように、小牧は1933年に京都の岡崎勧業館で行われた巴里新興美術展覧会で見た、エルンストやタンギーの作品に惹かれました。それまでの人物や風景を描いた作品とは一変します。
小牧は展示室で紹介している《生誕譜No.1》のような、胎内妄想を主題にしたものなど、独自の絵画を切り開いていきます。

日中戦争開戦以降は、日本の前衛画家に対する風当たりは強くなり、1938年に独立展に入賞した《民族病理学(祈り)》が、「人心を惑わす」という理由で撤去されてしまいます。しかし、その後、京都では同作品を展示しているところに、小牧の本心が見られるのではないかと清水さんは指摘されていました。

戦時中に描かれた一見仏画風の作品もまた、仏教美術そのままではないところに小牧の独自性を見出すことができるようです。このあたりは当館でも販売している『さまよえる絵筆』展のカタログに詳しく述べられています。

戦後もまた、海外からもたらされた新しい技法を横目に、自身の絵を作っていった小牧。
人間の根源的な世界を追求し続けた画家だったようです。

ご参加いただいた方々も熱心にメモをとりながらお聞きくださいました。

お忙しい中、たくさんのスライドを用意してくださった清水さん、暑い中を聞きに来てくださった皆さん、ありがとうございました。
 

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