コラム「史跡公園実験室」第2回

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ページ番号1032753  更新日 2023年3月14日

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傾げる標柱、動く境界線 その1

1、お問い合わせ

 2021年2月、ある市民の方からお問い合わせがありました。内容は「加賀2丁目に残っている標柱は板橋火薬製造所のものでしょうか」というもの。お話を受けた私は、疑問を感じました。まさかそこに標柱があるとは思ってもいなかったのです。

 戦前、板橋区加賀地域には陸軍板橋火薬製造所という工場がありました。敷地面積は50万平方メートル以上という巨大な施設です。その製造所の外周部には境界線を示す標柱と、コンクリート塀が建てられていました。例えば、写真1・2のようなものです。戦後、その多くが取り壊され、現在残っているのは数基のみになっています。

写真1板橋第五中学校付近に残る火薬製造所時代のの標柱.
写真1:板橋第五中学校付近に残る火薬製造所時代の標柱
写真2コンクリート塀(1970年代撮影)
写真2:コンクリート塀(1970年代撮影)

 今回お問い合わせがあった標柱の地点は、板橋火薬製造所のちょうど中央付近。本来、敷地の境界線を表す標柱は、敷地の外周部に設置されるのが普通です。そのため、「何か違う標柱と勘違いされているのでは」と思ってしまったのです。

2、傾げる標柱

 ともかく現物を確認するために、自転車で現地へ直行しました。市民の方が仰る通り、たしかに標柱が見つかりました。しかも、不思議な形をしています。首を傾(かし)げるように、横向きに倒れているのです(写真3・4)。

 

写真3今回新たに見つかった標柱
写真3:今回新たに見つかった標柱
写真4拡大写真
写真4:拡大写真

 形状を観察すると、正面に「陸軍」の文字が彫られ、大きさは少し小ぶりです。倒れたまま地面に接着されており、おそらく根本を切断して左のまま舗装されたものと思われます。切断された下には「用地」などと彫られていたのでしょう。火薬製造所時代の標柱と見て間違いないものの、今度は新しい疑問が生じました。なぜこの場所に、そして「首を傾げて」残っているのでしょう。

 

 次回は当時の史料などを参考に、この「傾げる標柱」について詳しく考えてみます。

 

(つづく)

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