(仮称)産業ミュージアム整備について
(仮称)産業ミュージアムとは?
加賀一丁目に位置する「陸軍板橋火薬製造所跡」は、2017年(平成29年)に国史跡に指定され、現在、板橋区が「板橋区史跡公園(仮称)」として整備を進めています。
この火薬製造所跡地には、陸軍時代に建設され、戦後も理化学研究所が使い続けた建造物が今も残っています。区は史跡公園の整備と並行して、この建造物を活用した「(仮称)産業ミュージアム」(以下「産業ミュージアム」)の整備を計画しています。

(理化学研究所 広報室記念資料所蔵)
整備地と産業の関係について
明治時代に火薬製造所が設立されたことをきっかけに、多くの中小企業が集積し、さまざまな分野の産業が発展しました。そのため、板橋は”工都”と呼ばれ、ものづくりまちとして知られるようになりました。
火薬製造所の周辺には、明治初期に陸軍省の要請により、軍需工場や関連する下請け工場が数多く建設されました。中でも光学産業は、光学兵器の生産を通じて発展しましたが、そこで培われた高い技術力は平和産業へと転換し、カメラやレンズ、測量機器の生産に繋がり、区の産業基盤を支える重要な分野となっていきました。
そして戦後、戦災で被害を受けた学校や企業に対し、火薬製造所内の建物が貸し付けられました。今回、産業ミュージアムとして整備が進められている建造物には、1946年(昭和21年)に理化学研究所が入居しました。理化学研究所板橋分所では、戦後日本の科学技術を支えるいくつもの研究が行われてきましたが、その中でも特に注力された研究は、宇宙線の連続観測で、その期間は51年間にも及びました。2015年(平成27年)に研究拠点が埼玉県和光市に移されるまでの約70年間に渡り、日本の科学研究の一翼を担ってきたのです。
このように、現在整備が進められているこの場所は、板橋区のものづくりの原点であり、産業の発展や新たな産業創出に深く関わってきた、大変貴重な場所なのです。
現在の板橋区産業は、長期間に渡って複数の出来事が重なり合い、形づくられました。板橋の産業につきましては下記のリンクをご参照ください。
どのような施設になるのか?
産業ミュージアムは、これまで重ねられてきた歴史的価値とともに、板橋区が日本の産業や科学技術の発展に貢献してきた軌跡を学ぶ場となり、また、ふるさと板橋を愛する心を育む施設を目指します。さらに、次世代を担う子どもたちや若者世代が、区の産業や科学技術の発展につながる学びを通じて、夢を育む未来志向の創造の場をつくります。この場所での学びが、未来に種をまき、次世代の科学者や技術者が育っていく土壌となることを願っています。
令和11年度中のオープンに向けて、令和7年度では、産業ミュージアムについての基本構想・基本計画を策定し、整備イメージの基本的な考え方と方向性や具体的な整備内容の検討を進めてまいります。
(仮称)産業ミュージアム基本構想・基本計画検討会について
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