(仮称)産業ミュージアム整備について

このページの情報をXでポストできます
このページの情報をフェイスブックでシェアできます
このページの情報をラインでシェアできます

ページ番号1057618  更新日 2025年4月25日

印刷大きな文字で印刷

(仮称)産業ミュージアムとは?

 加賀一丁目7・8番地は、国史跡「陸軍板橋火薬製造所跡」のエリアとなっており、区では、近代的な火薬製造所に関わる遺構や建造物を保存・活用した「史跡公園(仮称)」の整備を進めています。

 この地には、戦前の明治後期や昭和初期に建てられたものと推定され、戦後に旧理化学研究所板橋分所として使われた建造物が現在も残っております。板橋区史跡公園整備(仮称)との歩調を合わせながら、同建造物をそのまま活用した(仮称)産業ミュージアム(以下、「産業ミュージアム」という。)の整備を計画しています。

内部
昭和20年頃の理化学研究所板橋分所の様子
(理化学研究所 広報室記念資料所蔵)

ー整備地と産業の関係ー

 国史跡「陸軍板橋火薬製造所跡」の周辺には、明治初期に陸軍省からの要請により軍需工場が建設され、さらに関連下請け工場が集中していきました。戦後これらの工場は、平和産業に生まれ変わり、現在に至るまで、志村周辺が光学産業の先端地域として、板橋区の地場産業を牽引してきたことにも繋がっています。

 また、戦後、戦災などによって影響をうけた学校や企業に対して、火薬製造所内の建物が貸し付けられました。今回、産業ミュージアムとして整備が進められている建造物へは、昭和21年に理化学研究所が入居し、平成27年までの69年間、仁科芳雄や彼に学んだ湯川秀樹、朝永辰一郎というノーベル物理学賞受賞者を含む多くの研究者が宇宙線研究をはじめとする基礎研究に取り組んだ場所となっています。そのため、日本物理学界の中心的な場所として日本の科学技術を進歩させた研究員たちの足跡が積み重なっており、産業の発展や新たな産業創出との関りが深く、大変貴重な場所なのです。


廊下

ーどんな施設になるの?ー

 産業ミュージアムは、建造物が持つ文化財的価値とともに、日本の産業や科学技術の進歩を支えた歴史的背景を通じて、板橋が日本の産業や科学技術の発展に貢献してきた軌跡を学ぶとともに、ふるさと板橋を愛する心を醸成していく施設を目指します。また、次世代を担う子どもたちや若者世代が、区産業や科学技術の発展につながる学びを通じて、夢を育む未来志向の創造の場をつくります。

 令和11年度中のオープンに向けて、令和7年度では、産業ミュージアムについての基本構想・基本計画を策定し、整備イメージの基本的な考え方と方向性や具体的な整備内容を検討を進めてまいります。

 

(仮称)産業ミュージアム基本構想・基本計画検討会について

より良いウェブサイトにするために、ページのご感想をお聞かせください。

このページの情報は役に立ちましたか?
このページは見つけやすかったですか?

このページに関するお問い合わせ

産業経済部 産業振興課
〒173-0004 東京都板橋区板橋二丁目65番6号 情報処理センター
電話:03-3579-2172 ファクス:03-3579-9756
産業経済部 産業振興課へのお問い合わせや相談は専用フォームをご利用ください。