こうぶんしょ館電子展示室62号「板橋区 高島平団地建設写真」
こうぶんしょ館電子展示室62号
「板橋区 高島平団地建設写真」
東京都墨田区に建設中の東京スカイツリーで、建設中の写真を撮るのが巷のブームになっているようです。板橋区内の高層建築物の元祖といえば、高島平団地です。板橋区にも団地の建設中の写真が多く残されており、今回の電子展示室では、板橋区の高島平団地建設時の様子を、板橋区公文書館の所蔵写真によりご紹介します。
下の航空写真は昭和46年のものです。(「板橋土地区画整理事業 竣工記念昭和47年5月 日本住宅公団」より)
昭和46年12月の完成直前の高島平の町が一望できます。また、これからご紹介する、写真1から13のおおよその撮影位置が記入してあります。
下の写真1、2は昭和44年の高島平駅(当時志村駅)前の団地造成地の写真です。
高島平団地は、昭和41年12月から始まった板橋土地区画整理事業の中で高島平地区の区画整理事業として、昭和44年12月から建設が進められました。写真は団地建設が始まった直後のもので、駅前は何もなく、高島通りもまだできていません。

昭和44年

昭和44年
下の添付ファイル、写真3,4は昭和45年の5月と7月の写真です。
基礎工事をしているところです。手前の道路が先に造られています。まだ、どのような団地が造られるか分かりません。


写真5,6は昭和46年2月と3月の写真です。
手前の高島通りがやっと、道路らしくなりましたが、まだ工事車両しか通行していません。団地の建設も順調に進んでいるようです。おおよその高さや、規模も分かってきました。


写真7は昭和46年頃の航空写真です。
団地の形が分かるようになってきました。しかし、団地以外は空き地が広がっている様子が目立ちます。

写真8,9,10は昭和47年1月から2月の写真です。
ほぼ、完成をむかえた頃の写真です。昭和47年1月から賃貸住宅の一部が、4月からは分譲住宅の一部が入居を開始しました。いち早くオープンした中央商店街ですが、目の前は工事中の203号線道路(団地中央通り)です。まだ未舗装で生活もしづらかったのではないでしょうか。家賃は賃貸2DKで月2万5,900円から2万8,200円、3DKで月3万円をこえるなど、当時として高額であったにもかかわらず、団地の人気は高かったそうです。



写真11,12,13は昭和47年3月、5月、8月の写真です。
昭和47年3月に賃貸8,287戸・分譲1,883戸の合計1万170戸からなる団地と、約1万戸が予定された分譲地が完成し、一大住宅地が出現しました。高島第二小学校も完成し、4月より開校しました。団地中央通りもほぼ完成しています。
この後も、団地や分譲住宅の建設が進み、商店も増えて、高島平の町が出来上がりました。



最後の写真14は時を遡って、昭和33年頃の航空写真です。
徳丸に広大な田んぼが広がっています。しかし、この田んぼも、紹介した写真のように、昭和44年12月の団地建設着工後から、わずか2年たらずで大きく変わっていくことになります。

参考文献
板橋区史通史編下巻 板橋区
板橋土地区画整理事業 竣工記念昭和47年5月 日本住宅公団
ひらけゆく高島平 昭和46年11月 板橋区企画室
その他、高島平関係資料
高島平―その自然・歴史・人― 平成10年10月 板橋区立郷土資料館
日本住宅公団東京都市計画 板橋土地区画整理事業計画書 昭和41年 日本住宅公団
高島平地区の開発に関する資料集 昭和63年11月 板橋区
※板橋区公文書館には、板橋区で作成された公文書をはじめ、各組織で作成された行政刊行物が毎年多数移管されてきます。ここで紹介した資料のほかにも、様々な資料、写真が保存され、利用できるようになっています。ぜひとも気軽に足をお運びください。
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