こうぶんしょ館電子展示室57号「乳用牝(めす)牛を貸します」

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ページ番号1009250  更新日 2020年1月25日

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こうぶんしょ館電子展示室57号
公文書でふり返る板橋区の施策

「乳用牝(めす)牛を貸します」

板橋区公文書館では、板橋区が区民の暮らしにどうかかわったかが分かる様々な書類(公文書)をはじめ、区に関する資料、写真、地図などの歴史資料を区民全体の財産として保存し、公開しています。
そのような日常の業務の中、古い公文書を整理していると、しばしば、過去におけるめずらしい事業に遭遇します。
昭和7年(1932)に板橋区が設置されてから77年の間には、その時その時に応じて、区民の方々からさまざまな要望がだされてきました。
そして区も、それぞれの時代に合った施策を展開して、区民の皆様のご要望におこたえしてきています。
今回の展示室では、昭和29年に始まった「乳用牝(めす)牛を貸します」という、時代を物語る特徴的な事業を館所蔵の公文書をはじめとする資料からご紹介します。

昭和29年の日本

その前にまず、昭和29年がどのような時代であったのか、ふり返っておきましょう。
まだ戦後間も無い、いわば混乱期にあった昭和29年。人々は少しでも豊かになるために精いっぱい働きました。でも、まだまだ豊かな時代ではありませんでした。
この年におきた社会の出来事としては、米国がマーシャル諸島のビキニ環礁で行った水爆実験により、日本の漁船が被曝した「第五福竜丸事件」があります。また、台風の暴風と高波により転覆・沈没し、1155人もの死者・行方不明者を出した洞爺丸(とうやまる)事故も発生しています。
世相としては、力道山・木村とシャープ兄弟のプロレス初のタッグマッチが挙行されています。また、電気洗濯機が急速に普及した年でもありました。
なお、区の出来事としては、現在の文化会館の前身である区民会館の起工式が行われています。生業資金の貸し付けが始まったのもこの年です。
このような時代に板橋区内で始まったのが、「牝(めす)牛を貸します」という事業だったのです。

写真1
【写真1】牧場の牛(1952)
写真2
【写真2】昭和20年代の吉川牧場

写真3
【写真3】大谷口小給食準備作業(1968)
写真4
【写真4】給食優良校(板1小)(1970)

東京都板橋区乳用牝(めす)牛貸付規程

板橋区では昭和25年(1950)から、区内酪農業の発展を図るため、板橋区農業協同組合が推薦する農家に対して、都が所有する乳牛のうち6頭の貸付を行ってきました。
さらに区は、国が無畜農家解消の施策を行っていたこともあって、昭和27年以降、区で乳用牝(めす)牛を12頭購入して同様の方法で貸付を行い、区内酪農の更なる発展を図ってきました。
そのようななか、昭和29年11月1日、「東京都板橋区乳用牝牛貸付規程」が制定されたのです。
この規程の目的は、区内酪農の発展を図るところにありました。ちなみにこの当時、東京都区部には286ヶ所の乳用牛を飼養している農家があり、そのうち約23パーセントが板橋区に存在しました。なお、昭和29年の板橋区の乳用牛飼養農家は、農家数で66戸、飼養頭数で614頭でした。
ちょっと堅い文章ですが、公文書がどのようなものなのか知っていただくために、規程の一部を紹介することにしましょう。

  1. 区長は酪農業の発達を図るため、区の所有する乳用牝(めす)牛を適当と認める者に対し貸付けする。
  2. 借受者は貸付牛が牝(めす)を生産した場合は乳用牛生産届を区長に提出しなければならない。
  3. 生産牛が牡(おす)の場合は区長は確認の上借受者に無償でこれを交付する。
  4. 借受者は貸付牛が牝(めす)を生産した場合はその生産牝(めす)牛を区に返納しなければならない。
  5. 前項の牝(めす)牛は生後三か月以上のものとし乳用牛として健全で発育良好のものでなければならない。
  6. 借受者が前条の乳用牝(めす)牛の返納を完了した時は、区長は借受者に対し貸付牛を無償で交付する。

つまりこの規程は、区から貸付を受けた乳用牝(めす)牛が子牛を産んだ場合、牡(おす)であればその子牛を貸付農家に無償譲与し、牝(めす)であれば今度は親牛のほうを貸付農家に無償譲与した上で、子牛を区に引き上げ、引き上げたその牝(めす)牛を育てて更に他へ貸し付けるという、酪農家にとっては大変なメリットのある施策だったのです。
この事業のおかげで、板橋の酪農は発達し、戦後の混乱期において、牛乳の増産にも大いに貢献しました。
そして酪農の普及は、牛乳の生産・消費拡大に大いに貢献し、区民の健康増進・体位向上に寄与しました。
なお乳牛の貸付事業は、環境衛生上の問題や借受希望者の減少など諸般の事情により、昭和37年10月30日をもってその役目を終えました。
区民のみなさまが行政に対して望む内容は、その時代、その時代で変わるものだとつくづく思わされます。
ちなみに学校給食でミルク(脱脂粉乳)が全部牛乳(ビン装)に切り換わったのは、それから数年経った昭和44年4月のことでした。

写真5
【写真5】石神井川沿いの牧場(1960)
写真6
【写真6】石神井川の桜と牧場(1958)

写真7
【写真7】牛乳安売り販売(1972)

参考(引用)文献等

  • 公文書 「東京都板橋区乳用牝牛貸付規程の制定について」
    昭和29年10月27日起案
    箱番号 35-19-3(マイクロフィッシュも有り)
    「区乳用牝牛貸付規程の廃止について」
    昭和37年10月17日起案
    箱番号 同上
  • 「わが街・いまむかし」 404ページ
  • 「板橋区勢概要」昭和30年版 183ページ
  • 「板橋区の統計 第1回」昭和44年 76ページ
  • 「いたばしの学校給食」35周年記念 登録番号S56-053 47ページ
  • 「東京都統計年鑑 第5回」東京都総務局統計部 昭和30年3月30日発行 62ページ

※公文書館には、ここに紹介した資料のほかにも、昔の牧場やその他のなつかしい写真、かつて区が発行した刊行物、DVDなども収蔵して公開しています。どうぞ、一度来館してご覧ください。

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