時代を紡ぐ 「加賀前田家下屋敷跡と宇喜多秀家供養塔」
宇喜多秀家は、豊臣秀吉の五大老の一人として知られています。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは石田三成に加勢し、敗戦後は薩摩島津氏の下で3年蟄居(ちっきょ)していましたが、島津氏の助命嘆願で死罪を免れ、慶長11年に八丈島へ流罪となりました。
加賀金沢藩前田家は、藩祖・利家の娘・豪が宇喜多秀家の室(妻)だった関係で、八丈島の秀家の子孫に対し、江戸時代を通じて米70石や衣類・金銭などを送って援助しています。
明治2年(1869年)2月、新政府は宇喜多家の流罪を免じ、「旧来由緒」を理由に金沢藩に宇喜多孫九郎一族の扶助を命じました。翌年には宇喜多家(浮田家)子孫の8家75人が八丈島を離れ、金沢藩に身を寄せています。
浮田一族は、加賀出身の小松了従によって開墾が始まっていた旧加賀藩江戸下屋敷平尾邸のうち2万坪の提供を受けて、この地に帰農することになりました。一族は平尾邸内の御殿跡に居を構え、現在の板橋四丁目1番地に宇喜多秀家の廟所(びょうしょ)を造りました。なお、一族の多くは生活環境の変化になじめずに八丈島に帰島しています。
廟所に築かれた宇喜多秀家供養塔は、幾度かの移転を経て、現在は板橋四丁目の東光寺境内に設置され、宇喜多同族会によって 祀 られています。この塔は前田家・浮田家の歴史と、両家の板橋区との関わりを物語る貴重な資料で、平成10年度に区の登録有形文化財となりました。
【学芸員 吉田政博】
※平成26年12月13日発行「広報いたばし」掲載
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