時代を紡ぐ 「いたばしの「花火」事始め」

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ページ番号1004896  更新日 2020年1月25日

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平成24年8月4日に、「第53回いたばし花火大会」が開催されました。この花火大会は、昭和25(1951)年、現在の舟渡四丁目にあたる場所が、埼玉県戸田市より本区に編入されたことを記念し、翌年8月26日に花火大会を開催したことに始まるものです。
では、「いたばし」における「花火」の始まりはいつになるのでしょうか。
加賀金沢藩主である前田斉泰の日記、『温敬公日記』によると、今から179年前の天保4(1833)年6月27日に、前田家の江戸下屋敷である板橋の平尾邸において「大花火」が催され、斉泰一行がこれを見物したという記事があります。この平尾邸は、藩主やその家族が非日常生活をおくる空間となっており、散策・鷹狩り・園遊会や花火などが行われています。
当日、斉泰は奥方(溶姫)と真龍院(母親)らをともない、午後1時過ぎに上屋敷である本郷邸を出発し、午後9時に帰宅するまでの間、平尾邸を訪れています。一行は、約21万8千坪におよぶ広大な敷地の中に造られた池泉回遊式の大庭園を散策したあとに、敷地内の台地の先端部に設けられ、庭全体が見渡せる別邸、舟山亭(板橋三丁目付近)で、提重の料理やお酒を楽しみ、夜には大規模な打ち上げ花火である「大花火」を見物しています。
なおこの時には、藩主一家に加えて、平尾邸に在住している定番足軽(平尾邸の管理人)たちも、その家族ともに花火の「拝見」を願い出ています。また、先例に従って拝見を承け届けると史料にあることから、すでに天保4年以前に平尾邸で花火が催されていた可能性も考えられます。
このように、天保4年の花火の見物人は、前田家の人びととその関係者だけに限定されたものでした。しかしながら、平尾邸自体が宿場に隣接して立地していることから、板橋宿の人びとも前田家のお屋敷の森の向こうに鳴り響く大花火の音や、打ち上がる花火の姿の一部を見ることができたのかもしれません。
【学芸員 吉田政博】
※平成24年6月16日発行「広報いたばし」掲載

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