時代を紡ぐ 「和宮一行と板橋宿の料理」

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ページ番号1004901  更新日 2020年1月25日

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和宮様御下向御触書留

江戸時代に中山道板橋宿を通行した著名人は数多くいますが、その中でも最も有名な人物は14代将軍家茂に降嫁するため中山道を下向した、皇女和宮(親子内親王)ではないでしょうか。今年は和宮下向150年目の節目の年になります。
和宮は、文久元年(1861)11月14日の午後5時頃、中宿の飯田宇兵衛家に入り、江戸入り最後の晩を同家で過ごしました。この際に和宮一行は何を召し上がったのでしょう。宇兵衛家に伝わる古文書(飯田侃(あきら)家文書)には、幕府役人より指示された食材や献立が記された史料があります。
まず、御次(付添人)の献立です。それにはいくつかランクがあります。最も豪華なものは、白飯、牡蠣と大根の汁、平目・岩茸・白髪大根の膾(なます)、車海老の天ぷら、鰆(さわら)の醤油付焼き、香物(奈良漬大根、沢庵)の一汁三菜です。ランクにより品数が変わりますが、板橋宿では1100人前に必要な食材を用意するよう指示されています。なお、食材に大根が多いのは志村夏大根、練馬大根などを産する板橋の特徴でしょうか。
では肝心の和宮の献立はどうでしょうか。板橋宿では和宮のために御間の物(間食)・御夜食・明朝御膳・御弁当の4食分の食材を用意しています。このうち御夜食は、沖津鯛3本、黄茸4本、松茸16本、黒豆3合、蓮根2本、百合根6株、ホウボウ4本となっています。ではこれら食材から何を拵(こしら)えたのでしょう。古文書を読み解くと、実は宿場には食材の手配しか指示されていないことが分ります。
そして食材についても、指示を出すまで手を加えず仕入れたままにしておくようにと命じられています。つまり宿場では食材の手配はしましたが、具体的な調理法ばかりか献立そのものが知らされていなかったのです。おそらく和宮の料理は、お付きの料理番が用意された食材などを用い調理したため、宿場には献立が伝えられなかったものと思われます。
板橋宿で和宮に饗された料理はどのようなものであったか、皆様も食材から想像してみてはいかがでしょうか。
【文化財専門員 中村陽平】
※平成23年10月22日発行「広報いたばし」掲載

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