時代を紡ぐ 「「板橋」の架け替えと宿場の人々」
板橋区の歴史といえば、皆さんは何を思い浮かべますか。板橋区には数多くの歴史が残されていますが、中でも板橋十景の一つで板橋の地名になったともいわれる「板橋」を思い起こされる方も多いのではないでしょうか。
しかし、板橋は有名な橋ですが、その実体はほとんど明らかとなっていません。そこで今回は江戸時代の板橋の架け替えについて見てみましょう。
安永4年(1775)、板橋宿では朽ち損じた板橋の架け替えを幕府に願いました。従来、板橋は幕府が橋の工事を直接とり行う御普請の橋でしたが、この時は宿場の請負で橋を作製するように命じられました。この場合の「請負」とは現在の請負と同じく、費用は幕府が支払い、手続きや工事、管理は請負者(宿場)が行うことを指します。
板橋の作製を命じられた宿場では、さっそく幕府が示した見積額で橋の作製が可能かを確認したところ、幕府の見積額では不足するため、35両ほど増額した130両余りで請け負いたいと願いました。しかし、幕府は増額を認めず、木材の種類を替え、品質を落とし安く仕立てるようにと伝えてきます。これに対し宿場では、地元の木材を調達しておりこれ以上安くはならないこと、また、幕府の見積りは部材に古板・古杭を用いるものでしたが、橋は長く利用するものなので、杭木には腐りにくく堅い栗の木を、樋や板には新しい松板を用いたいと再度願い出ています。史料を欠くため交渉の全容は不明ですが、この時は残念ながら木材の変更は認められませんでした。このように板橋は幕府と宿場が橋の材質や費用をめぐって交渉した上で作製されていたのです。
江戸時代の木製の橋は、おおよそ20年で架け替えられたと言われています。板橋も同様の年数で架け替えられ、そのたびに管理を請け負っている宿場では様々な苦労があったと思われます。現在の板橋は、昭和47年に架けられたコンクリート製の橋ですが、区の象徴として人々に愛され続けています。板橋区を代表する「板橋」は、遠い昔より地域の方々に支えられ今に伝えられていたのです。
【専門員 中村陽平】
※平成24年12月22日発行「広報いたばし」掲載
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