時代を紡ぐ 「空海の伝説と絵馬」

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ページ番号1004897  更新日 2020年1月25日

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写真1
「清涼殿の八宗論」絵馬
写真2
大日如来となる空海(部分拡大)

日本の歴史上、弘法大師空海ほど伝説のある人はいないでしょう。寺院の建立や仏像などの彫刻、あるいは聖水、岩石、動植物にかかわるものなど、内容は多岐にわたり、数も日本各地で五千以上あるといわれています。その中の一つが、今回紹介する「清涼殿(せいりょうでん)の八宗論(はっしゅうろん)」です。
大同元年(806)10月に唐から帰国し、日本で真言密教を弘(ひろ)めようとしていた空海は、ある時、南都寺院や天台宗の僧らと宮中清涼殿で宗論をすることとなりました。彼らが学んでいる昔からの仏教では、何世代にもわたって修行と善行を重ねなければ仏になれないという「三劫成仏」(さんごうじょうぶつ)を説いていました。これに対し、空海は父母によって与えられたこの身で仏になることができるという「即身成仏」(そくしんじょうぶつ)を説いたのです。この教えに疑問を抱いていた僧らは、「人が即身成仏するという証拠はどこにあるのか」と空海に詰め寄り、嵯峨天皇からも勅問がありました。これに対し、空海は「それならばその証拠をお見せいたしましょう」と言うと、南方に向って坐(すわ)り、大日如来の印を結んで呪文を唱えたところ、見る見る空海の姿は金色に光り輝く大日の姿となりました。これを見た僧らは、驚き畏れてひれ伏したのです。
この話は、康保5年(968)に成立したとされる『金剛峰寺建立修行縁起』に書かれており、早くから空海が現した奇瑞(きずい)の一つとして喧伝(けんでん)されていたのです。そして、その後「弘法大師伝絵巻」の中に描かれるなど、広く流布していきました。平成23年度に板橋区登録文化財となった前野町常楽院所蔵の絵馬の中に、この清涼殿での場面を描いた安政6年(1859)奉納の絵馬があります。区内では470点ほどの絵馬が確認されていますが、空海の伝説を描いたのはこの1点だけです。絵馬について詳しい方の話でもこの図像の絵馬は珍しいとのこと。真言宗の常楽院にあることが重要なのですが、個人的にはどうしてこの図像を選んだのか、奉納した人に伺ってみたいところです。
【専門員 畠山聡】
※平成24年8月25日発行「広報いたばし」掲載

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