上板橋小学校の校史資料と地域の歴史

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ページ番号1004913  更新日 2020年1月25日

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学校日誌

上板橋地域に古くから住む人にとって、6月10日は忘れられない日だと思います。それは、今から64年前の昭和20年6月10日早朝、現在の南常盤台から東新町にかけて区内最多の死傷者を出した空襲があったからです。「ときを紡ぐ」第86号でこの時の空襲を紹介しましたが、当時は空襲に関する文書類を確認できなかったため、実際に体験した かたに聞き取りをし、それをもとに記事を書きました。しかし、昨年上板橋小学校の校史資料を調査した際、その中にこの時の空襲に関する記述のある資料があることを確認しました。
それは昭和20年度の学校日誌で、そこには「今朝敵機ノ来襲アリ、上板橋三丁目 四丁目 五丁目 とうこう通学区域内ニ爆弾ニ依ル災害発生」と書かれ、さらに罹災者数は2550人で、うち155人が同校に避難していること、そして「死傷相当出テタル模様ナリ」と詳しい人数は不明ですが死傷者が多数出ていることが書かれています。警視庁帝都防衛本部の公式発表では、死亡者269人 負傷者196人 罹災者2467人としていますので、死傷者数については把握できていないながら、罹災者については比較的正確な情報を得ていたこと、緊急時に先生方が落ち着いて対応していたことがわかります。
同校の校史資料は、明治9年10月の開校以来、学校で作成されてきた書類などで、その中には前記の学校日誌のほか、開校の際に地元の大野吉次や森田市兵衛らが東京府へ提出した「公立学校設立願」や学校の増改築にかかわる書類があって、現在でも大切に保存されています。これらは、区の教育史にかかわる資料として注目されていましたが、昨年の調査で地域に関する貴重な情報も含まれていて、地域の歴史を明らかにするうえでも重要な資料であることがわかりました。このことにより、同校の校史資料は平成20年度に区の登録文化財となりました。
同校は、明治9年に安養院に隣接する寺院を借りて開校しましたが、明治15年に長命寺に隣接する現在の場所に新しく校舎を建てて移ってきました。その時の校舎は教員室と教室一つだけの かやぶき屋根の木造平屋建てで、生徒は41人だけでした。それ以来、地域の中で、地域に支えられながら数多くの生徒が学び舎として過ごし、巣立って行きました。このような同校が歩んできた歴史からすると、校史資料の中に地域に関する情報が含まれているのも不思議なことではないのかもしれません。今後は、校史資料が同校の歴史だけでなく、地域の歴史も語ってくれることになるでしょう。
【文化財専門員 畠山 聡】
※平成21年6月20日発行「広報いたばし」掲載

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