時代を紡ぐ 「志村一里塚は動かなかった!」

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ページ番号1004892  更新日 2020年1月25日

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志村一里塚(小豆沢側)

一里塚は、慶長9年(1604)徳川家康が秀忠に命じて江戸日本橋を起点とする全国の街道沿いに、1里(約4km)毎に築かせたものです。以来、旅人にとっては道のりの目安や、塚に植えられた榎などによる木陰が休憩場所となりました。しかし、明治になると永年の風雨などによる劣化や、鉄道の発達などによる交通体系の変化により荒廃が進み、明治9年(1876)には「一里塚廃毀」の法令も出され、全国的に取り壊しが進んだと思われます。
区内には中山道の平尾(現JR板橋駅近辺、日本橋から2里目)と志村(同3里目)に一里塚が存在しましたが、志村のみが取り壊されずに残り、明治に改まり55年後の大正11年(1922)3月に国の史跡に指定されました。現在全国では17か所の一里塚が国史跡に指定されていますが、この時志村を含む4か所の一里塚が初めて史跡に指定されました。
昭和に入ると中山道の下板橋から戸田橋までの道幅を25m(含歩道)に拡幅・改修する工事が開始され、同8年に完成しています。よくこの際に「志村一里塚は少し移動した」とか、「一部を切り取った」と言われ、歴史や文化財の紹介本の中にもそのように記されているものもありますが、それは誤りです。拡幅工事完了後、現況に合わせて昭和10年10月に指定範囲の一部追加・解除が行われたものの、図で示したとおり、もともと志村一里塚は中山道からやや離れた位置に築かれていたため、拡幅工事によって移動したり、削ったりはしていないのです。
現在志村一里塚は東京都教育委員会が管理団体に指定されていますが、毎月地元の町会の方々が手入れや清掃を行っています。400年を超える時代(とき)の変化を見つめてきた志村一里塚、これからも大切に次代へとつないでいきましょう。
【学芸員 秋山道生】
※平成25年3月23日発行「広報いたばし」掲載

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