時代を紡ぐ 「加賀藩江戸下屋敷平尾邸の拝領と前田綱紀」

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ページ番号1004884  更新日 2020年1月25日

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【御下屋敷惣絵図】庭園内の大池

加賀藩江戸下屋敷平尾邸は、延宝7年(1679年)に五代藩主である前田綱紀が、板橋宿平尾の地に6万坪の土地を拝領したことに始まります。その後、敷地の拡張がすすみ、最終的には約21万8千坪の広大な屋敷地となりました。当時、平尾邸は、江戸と周辺に所在する全ての大名屋敷の中でも最大の面積を有していました。当敷地の範囲は、現在の加賀一・二丁目と板橋四丁目の全域と、板橋一・三丁目の一部にあたります。
平尾邸は、国許の金沢城に隣接する兼六園と同じく、池泉回遊式大名庭園として設計・整備され、藩主と家族が非日常の生活を過ごす別荘として機能していました。具体的には、狩猟や散策、保養がなされ、庭ではタンチョウヅルや唐鳥が飼育され、希少な植物の栽培も行われていました。また、藩主の参勤交代の際は、旅装から登城用の装束への着替えや江戸屋敷に住む家族との対面の場となり、幕末期には軍隊の調練や大砲製造の場としても利用されました。
前田家は、新井白石に「加州(加賀藩)は天下の書府なり」と評されたように、藩主綱紀自らが学問を究めるなど、当時の学術事業全般に大きな足跡を残しています。その中で下屋敷平尾邸が、博物学や植物学、洋学などを実証する場となっていたことが特筆されます。

【学芸員 吉田政博】
※平成26年8月23日発行「広報いたばし」掲載

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