時代を紡ぐ 「いたばしの餅つき」

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ページ番号1004888  更新日 2020年1月25日

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大門餅つき

新年を迎えるに際して、区内各地域では、近所や親戚の人びとが集まり、正月のための「餅つき」が行なわれてきました。区内に古くから伝わる餅つきの特徴は、集団で行う点にあります。例えば赤塚大門地域で行われている餅つきは、千本杵が5人1組、大杵が1人、そして唄の歌い手2名で構成されています。そして、餅の「練り」や「搗き」の場面になると、つき手の気を揃えたり、こねとりの水打ちをいれるために歌い手によって「餅つき唄」が歌われます。
江戸時代に、区域を含む江戸周辺地域の村人たちは諸大名の屋敷に呼ばれ、「餅つき」を披露したといわれています。その折には、大名が参勤交代のルートとしていた東海道や中山道を唄いこんだ道中歌が歌われました。

お江戸今朝出て 板橋越えて 戸田の渡しを 朝舟で越えて 蕨昼飯 桶川泊まり
鴻巣過ぎれば 熊谷宿よ 源氏・平家の昔を偲び 今夜 深谷か 本庄どまり

これは大門地域の餅つきで今も歌われている「中山道中歌」です。歌詞の中には大門地域の近隣となる「板橋」や「戸田」などが織り込まれています。また、この中山道中歌自体は、本庄宿まで続いていますが、大門地域の場合は、たいてい「…桶川泊まり」で歌が終わってしまいます。これは、餅が搗き上がるまでの作業量と一曲分の時間がほぼ同じであることに拠るのかもしれません。「鴻巣過ぎれば…」の歌詞は以前に調査をした際に記録をしたものですが、今日ではあまり歌われることがありません。
以前には、大谷口・蓮沼・下赤塚・成増などでも大門と同様に「餅つ唄」が歌われていましたが、今ではほとんど歌われなくなりました。そのような中、大門地域では、昭和43年に「餅つき保存会」が結成され、その技能や唄を今に継承しています。58年度には「大門餅つき」として区指定の無形民俗文化財(民俗芸能)の保持団体となりました。年末の風物詩である「餅つき」を見聞して、新たな年を迎えられてはいかがでしょうか。

【学芸員 吉田政博】
※平成25年12月14日発行「広報いたばし」掲載

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