舟渡遺跡

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ページ番号1004914  更新日 2020年1月25日

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写真1
発掘された溝
写真2
現在の舟渡1丁目17番付近

JR埼京線の浮間舟渡駅周辺にある遺跡は、地名をとって舟渡遺跡と呼ばれています。この遺跡が発見されたのは昭和58年3月のことで、東北新幹線の工事に先立つ調査によるものでした。それ以来、現在に至るまでに11地点で住居跡 墓 溝などの遺構が調査されてきました。
この遺跡では縄文時代中期 弥生時代後半 古墳時代前半 平安時代 室町時代の遺構、遺物(土器 陶磁器 板碑 金属製品 木製品など)が見つかっています。
現在の舟渡一丁目17番付近の新幹線建設の際に見つかった溝に囲まれた遺構は、その後の調査結果によって、その規模がほぼわかりました。溝の一辺の長さは40メートルから42メートルで、その中に建物の柱のこんせきや井戸と考えられる穴が掘られていました。この溝によって囲まれた遺構は複数、連結するように確認されており、やかたのようなものではないかと考えられています。舟渡一丁目17番の北東においても4か所で調査が行われており、同様の方向に掘られた溝が見つかっています。これらによって遺構が広がっている範囲は、推定ですが東西350メートル 南北400メートルになります。
これらの溝からは板碑が出土しており、年号が残っているものもあります。古いものは延慶年間(1308年から1311年)、新しいものは応永年間(1394年から1428年)です。また、出土した常滑系の陶器は13世紀後半から15世紀前半のものです。
これらのことから、舟渡遺跡に溝をめぐらせた町をつくり、人々が暮らしていたのは13世紀から15世紀と考えられます。この後、この建物や溝などは何らかの原因で使われなくなり、埋まってしまい現在に至ったと考えられます。
舟渡の地は江戸時代以降、中山道が通り、荒川を挟んで埼玉県の戸田との間を船によってつないでいた交通の要所でした。発掘調査の結果から、江戸時代より古い時代において大規模な土木工事によって建物や溝などが作られ、人々が暮らしていたことがわかりました。
【学芸員 隅田 眞】
※平成21年8月8日発行「広報いたばし」掲載

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