時代を紡ぐ 「加賀藩平尾邸における西洋流大砲鋳造」

このページの情報をツイッターでツイートできます
このページの情報をフェイスブックでシェアできます
このページの情報をラインでシェアできます

ページ番号1004883  更新日 2020年1月25日

印刷大きな文字で印刷

写真
於平尾御屋敷大砲鋳造と以水車入錐等の図

嘉永6年(1853)、加賀藩は異国船の江戸近海渡航などの政情をうけ、江戸下屋敷平尾邸において西洋流の大砲鋳造を開始します。下屋敷が鋳造場所として選ばれたのは、「御下屋敷には水車も有之、錐通候とも指支無之旨…」(「諸事要用日記」)とあるように、大砲の砲身に穴を穿つための動力として水車の動力が重要な条件となっていたからでした。この時には、藩医で蘭学者の黒川良安などが「大筒鋳造方」に任命されていますが、注目すべきは「御用聞鋳物師」として川口(現:埼玉県川口市)の鋳物師増田金太郎の名が見られる点です(「都鄙之嵐」)。これによって、実際の大砲鋳造に関わる技術指導については、幕末期に大砲を鋳造し盛んに諸藩へと納入していた川口の鋳物師がその任にあたっていたことがわかります。なお、この平尾邸内で製造した大砲は、陸海用の中・小型加農砲(キャノン砲)20門で、石神井川にかかる水車の動力を利用し、砲口を錐通している工程など、製造過程を詳細に描いた絵巻が残され、当時を知る貴重な史料となっています。
【学芸員 吉田政博】

※平成26年10月25日発行「広報いたばし」掲載

より良いウェブサイトにするために、ページのご感想をお聞かせください。

このページの情報は役に立ちましたか?
このページは見つけやすかったですか?

このページに関するお問い合わせ

教育委員会事務局 生涯学習課
〒173-8501 東京都板橋区板橋二丁目66番1号
電話:03-3579-2633 ファクス:03-3579-2635
教育委員会事務局 生涯学習課へのお問い合わせや相談は専用フォームをご利用ください。