板橋区の貝塚と酒詰仲男

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ページ番号1004915  更新日 2020年1月28日

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酒詰仲男

区内には多くの遺跡があり、有名な貝塚も多数存在しています。小豆沢体育館近くの小豆沢貝塚、現在は貝塚公園になっている若木の馬場崎貝塚、郷土資料館脇の赤塚城址貝塚が区内の三大貝塚ですが、このほかにもいくつかの貝塚が存在しています。それでは、なぜ、海に面していない板橋区に貝塚が多く存在し、そこから見つかる貝類はハマグリやカキなどの海の貝類が多いのでしょうか。これらの貝塚の立地を見ると、すべて低地に面した台地上にあることがヒントになります。
今から約6000年から7000年前、縄文時代早期末から前期前半の時期は、今より気温が高く、それに伴って東京湾は板橋区高島平・三園・蓮根・坂下地区などの低地域をはじめ、さいたま市大宮区・岩槻区まで入り込んでいたため、区内には貝塚が多いのです。
ところで、「貝塚は昔の人が食べた貝のごみ捨て場だ、だから考古学者にしか関係がなく、遺跡に興味のない私には関係ない」と考えているかたも多いのではないでしょうか。しかし、前述の地球環境の変化のような事実がわかったのは、貝塚を中心とする遺跡研究、地質学などの諸研究の成果が源となっています。貝塚研究は、原始・古代人が食べていた食料などを明らかにするだけではなく、その所在地や貝類などの自然遺物を確認することで、原始・古代の環境、温度の変化による海進・海退などの海水面の高さの変化もわかる貴重な研究なのです。
酒詰仲男(さかづめ なかお)は、この貝塚研究を中心に行った先史(せんし)学者で、「板橋区史」(昭和29年版)の先史(せんし)編を編さんし、「板橋の歴史に残る50人」にも選ばれた人物です。彼は、昭和8年7月に左翼グループの一員として特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ)に逮捕され教員を解雇されました。しかし、これを契機として考古学を志し、貧困の中で研究を進め、関東地方の貝塚位置地図をほぼ独力で作成するなどの業績を上げていきます。これらの業績により、酒詰は、東京大学人類学教室嘱託となり、昭和24年の 宮城内貝塚(きゅうじょうないかいづか、皇居内所在)の調査では調査主任として、行幸啓(ぎょうこうけい)された昭和天皇・皇后両陛下にご説明とご進講(ごしんこう)を行う栄誉によくします。その後、同志社大学教授となり、のちに高名な学者となっていく若き研究者を多数育て上げています。
【学芸員 守屋幸一】
※平成21年10月31日発行「広報いたばし」掲載

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