伊勢太々神楽と絵馬

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ページ番号1004906  更新日 2020年1月25日

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「寛政7年太々神楽奉奏図絵馬」

平成21年度、志村熊野神社がしょぞうする絵馬や扁額は、庶民の信仰を明らかにする貴重な資料として板橋区の登録文化財になりました。今回、その中から寛政7年(1795年)の伊勢太々神楽(いせだいだいかぐら)奉奏図絵馬を取り上げて紹介します。
伊勢太々神楽とは、室町時代末期から江戸時代を通して、伊勢外宮の御師(参けいの世話をする者)や社家の家で行われた、湯立(かまで湯を沸かすじゅ術儀礼)やへんばい(邪気を払う呪術的足踏み)などを重視する祈とうしょくの強い神楽のことです。御師や社家の家にある神殿には神座が設けられ、勧請する両宮の神々に献上するため、あるいは参宮者の清めに用いるための湯を沸かす釜がその中央に据えられています。そしてその前で神事や舞が奉納されたのです。
18世紀半ば以降、御師の活動により、参宮の際に太々神楽奉奏を行う伊勢太々講が、関東や南東北を中心に多く組織されました。彼らは、参宮を終えると土産として参宮の風景や太々神楽奉奏の様子などが描かれた刷り物を購入し、帰郷してから祈願成就と参宮を果たしたあかしとして、それをもとに大絵馬や扁額を作成して地元の氏神へ奉納しています。
明治4年(1871年)、政府の命により御師が廃止されると、それまでの太々神楽も廃止となります。その後、明治8年になり外くうに祈とう所が設けられて神道色の強い太々神楽が行われるようになると、太々神楽奉奏図も神道色の強いものとなりました。志村熊野神社には明治5年の太々神楽奉奏図絵馬もありますが、これは外宮で太々神楽が行われていなかった時期のもので、江戸時代の太々神楽奉奏図が描かれているのもそのためです。
現在、各地の神社に太々神楽奉奏図絵馬が数多く残っていますが、寛政7年の太々神楽奉奏図絵馬はそれらの中でも早期に作成されたもので、伊勢太々講の活動を明らかにするうえで貴重な資料だと考えられています。
昭和30年に始まる高度経済成長で日本の社会や生活は、大きく変化しました。核家族化による個人を大切にする生活スタイルが定着すると、神仏への願いを込める絵馬もまた個人による小絵馬が主流となり、講による大絵馬は奉納されなくなっていきました。このように絵馬は、庶民生活の様相をも反映するものだったのです。
【文化財専門員 畠山 聡】
※平成22年6月19日発行「広報いたばし」掲載

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