2022年5月21日 対談「牛に牽かれてひぐらし谷へ 父 寺田政明のこと」

このページの情報をツイッターでツイートできます
このページの情報をフェイスブックでシェアできます
このページの情報をラインでシェアできます

ページ番号4001572  更新日 2022年5月22日

印刷大きな文字で印刷

記念対談「牛に牽かれてひぐらし谷へ 父 寺田政明のこと」

前野町の自宅前

寺田農さんをお招きした記念対談「牛に牽かれてひぐらし谷へ 父 寺田政明のこと」を開催いたしました。

今回は池袋のアトリエ村、通称「池袋モンパルナス」から1947年に寺田さん一家が引っ越してきた板橋区前野町でのことを中心に伺いました。

当時はまだ道路も舗装されておらず、木々がうっそうと茂り、鳥や虫たちが集うこの地を寺田政明さんは心から大切に想って「ひぐらし谷」と呼び、亡くなるまでここで生活と制作を続けました。

前野町の図面

前野町の自宅兼アトリエが増築され、その庭がツバキやカキといった寺田政明さん好みの植物でいっぱいになっていく様子を当時の写真と寺田農さんにお聞きして作成した図面でご紹介しました。

寺田政明さんの作品にはカラス、フクロウといった鳥たちや虫、ケヤキやツバキといった前野町の庭の住人たちを描いたものがたくさんあります。

庭には壺や大きな絵皿などがあり、そこにたまった雨水にはボウフラがいたのですが、それは鳥たちが飲むためにそのままにしておくようにおっしゃっていたそうです。そのため、夏には蚊がたくさんいて大変だったとか。

前野町の作品

2階の展示室で展示中のチラシの裏のデッサンは、毎朝ルーティーンにされていたもの。朝は起きたら朝食前に朝刊に挟み込まれたチラシの裏に庭のツバキや果物、自身の顔などをデッサンし、その後は朝から晩まで制作に励まれていました。

そして晩年、体調を崩されて入院されていた時、病院の先生からは安静にして絵は描かないように言われていたにも関わらず、洗面台の鏡を見ながら自画像を描いていらしたとのこと。

まさに寺田政明さんがおっしゃっていた通りに「描く故に我あり」だったのです。

ご家族ならではのお話満載で笑いあり、ぐっとくるエピソードありの盛りだくさんな90分でした。

寺田農さん、ありがとうございました。