2025年12月7日 戦争と子どもたち展 松本莞氏、田中淳氏対談
「戦後80年 戦争と子どもたち」展の関連イベントとして、出品作家である松本竣介の次男の松本莞氏、大川美術館館長の田中淳氏による対談「松本竣介の『子どもの時間』」を開催しました。
松本竣介は戦中、特に1941年以降に子どもの姿を描いた作品のみならず、次男の莞さんのお絵かきにヒントにした作品を数多く残しており、本展でも紹介しています。松本莞さんは今年の1月に『父、松本竣介』(みすず書房)を刊行され、同書の中でもお父様である竣介との日々の暮らしについて詳しく書かれていますが、今回は戦時下の子どもであったお立場からもお話を伺いたいと思い、お願いしました。田中淳さんは長年、松本竣介について研究や展示をされており、松本莞さんとは実に40年近くのお付き合いになるとのこと。2019年春には大川美術館で「松本竣介 子どもの時間」展を企画され、この展覧会では松本竣介が描いた子ども像が数多く紹介されていました。このおふたりに改めて松本竣介の戦中、戦後、それから子どもを描くことについてお話を伺いたいと思い、対談をお願いいたしました。

今回はいくつかのテーマに分けてお話をいただきました。
最初は「モチーフとしての子ども」について、松本竣介が1941年から43年にかけて二科展で発表した作品図版を田中さんが中心となり説明してくださいました。現在は絵葉書しか存在が確認されていない1942年の二科展出品作《小児像》の制作までのプロセスなどは、松本竣介がデッサンに描いた日時を書き込んでいたからこそ、たどることができるそうです。
松本竣介が子どもの姿を描くようになった背景には、身近にいた莞さんの存在があったからこそとも言えますが、莞さんによるとモデルをするように言われて描かれたことはないとのこと。お二人からは普段から見ている莞さんやいとこたちの姿などの記憶から、イメージ化、作品化していったのではないかというご指摘がありました。
「遊び場としての父のアトリエ」では、莞さんのご著書にも書かれていますが、アトリエであれば壁でも窓でも落書きがO Kだったということから、お父様のアトリエでの日々についてお話しいただきました。莞さんからは小学校に入る前、お絵かきの時に「偉い人」を描こうと思った時、髭のある将校、軍人の姿を描いたというお話がありました。新聞やラジオニュースなど、子どもが日常的に接することのできるものの中から、自然にそのような絵を描いていたのではないかと振り返っていらっしゃいました。
東京大空襲の直後、莞さんはお母様や幼い妹、お祖母様と親戚のいる松江に疎開します。東京に残った父、竣介さんは落合のアトリエ周辺の様子、終戦直後はアメリカ兵の様子などをイラスト入りで伝える絵手紙を疎開先に送っています。
その頃、終戦前後に松本竣介が制作のモチーフにしたのが子どもの絵、莞さんが描いた絵でした。本展では、莞さんの絵がもとになっている「せみ」の絵を展示しています。莞さんによると無意識で、本能の赴くままに描いたせみの絵は、小学校入学前までの間しか描くことができなかったのではないかとのことでした。

1時間30分にわたる対談は、松本竣介の子どもへの関心、戦時中から戦後にかけての暮らしなどまでに及び、松本作品の新たな見方を提案してくださるものでした。
松本莞さん、田中淳さん、ありがとうございました。
